テレワークでメール数が爆増していないか?

在宅勤務というかテレワークというか。

オンラインが重視されてから、メール数が爆増。

 

これはサラリーマン系の知人が皆言っている。

 

●同じグループの人間の発信メールが同報で入ってくる。

もちろんその返信も入ってくる。

グループの人数倍のメール数になる。

(関係ないのにね・・・)

休みなどの不在時にフォローができるのはメリットだろうが、そもそも休みなのかどうか、オフィスにいるわけでないので、スケジューラで確認しなければわからない。

グループ全体に責任を持つポジションの人のみ同報にしてくれればいいのにね

件名に宛名を明示する等の試みもあるという。

 

●メールとteamsチャット等の使い分けがグダグダ

メールはもともと使っていたが、teamsやSlackなどが後から導入され、みな手探りで使っているから、どんな時にメールでどんな時にチャットかなどぐちゃぐちゃ。

チャットは時間経過で流れてしまい、見落とすことも。

情報確認に費やす時間も爆増中、という。

担当者は、「見落としました!」でも最悪OKでも、管理ポジションの方々は「報告しましたけど~」と言われたらつらいかも。

 

原発事故 国賠償訴訟 の判決「想定外だから不起訴」に「仮定の質問にはお答えできません」を思い出す

想定外の地震津波だから、不起訴。

って結論に見えたけど、そういうことでよいのだろうか?

 

「仮定の質問にはお答えできません」とう言葉を思い出してしまった。

 

「仮定」以上の「想定外なんだから」「責任問えるわけないでしょう」ということか。

 

「想定」を作った方の責任はどうなるのだろうか?

「想定」はどう作るのだろうか。

 

当時としては合理的な判断だった。という。

際限なくリスクを回避できないから、法的責任は問わない。

でも問題が起きた時に事業者が賠償保険でカバーしきれない部分を国が援助する。

10兆円に上る援助をしている。賠償責任までは問えないというのが菅野氏の補足意見。

 

好ましからぬ事態が起こったとき、どんな対応がなされるのか。

事前確認して受け入れるようにしたい。

 

ニュースで、海沿いギリギリに立地している原発をみたことがある。

ああいったところは、どのように対策されているのだろう??

 

 

自動集計、自動採点 に思う  ~そのしくみは想定外パターンや少数パターンに気づけるか?

データ処理技術が進んで、アンケート調査のデータ集計や、学校のテストの採点などが自動化できるという。

 

「いいね!」と思う一方で、ちょっと疑問に思う点も。

 

元のデータに当たらなくなるんじゃないかなぁ。

 

これまでは採点、集計のための途中経過として、調査個票や個別の答案に目を通さざるを得ない。

その手間と時間は大きい。

でも、その手間と時間を通じてぶつかっていた「想定外の回答パターン」。

これに出会えなくなるのではないか?

 

浮いた時間で個票にあたれ、ともいえるが、

個票データが自動入力され、回答用紙ごとの点数も出ている。

そして全体の状況がきれいに集計されている。

わかった気持ちになるし、実際全体の状況はわかるし、個別の結果も出てくる。

 

たとえば、「あの子がここは正答しているのにここができていないのはなぜか?」とか。「あの子ができて、この子ができないのは意外だなぁ」とか。

そしてそれはなぜなのかを考えたり。

これは日ごろの「あの子」を知っていればこその発見であり、目配りであり。

その個々への目配りこそが教育という気もするが、よくわからない。

 

調査データを扱ったことのある身としては、

個票の回答パターンを見ながら、アンケートの質問紙が適切であったかどうかを反省する、なんてこともしていたが、

個票データが自動入力され、全体の状況がきれいに集計されている。

となったら、

よほどの熱意がなければ、個票確認などやらないだろうなぁ。

やるとしたら、アンケートを結果を使う主体そのもの自体、かな。

 

 

 

「平和首長会議」に期待したい! 

生活者なんて、「国」にとっては軽い存在なんだなぁ。

ウクライナ侵攻を見ていて実感する。

 

個々人にとってかけがえのない命であっても、国という大機構を守るためなら軽い存在に。

 

対抗軸として「生活者」の立場を守ってくれるものとは?その組織体は?と考えると、自治体ではないだろうか?

 

その国際的連携組織なんだろうか?

「平和首長会議」

 

戦争に反対し、核兵器廃絶を目指す都市で構成される。

ウクライナ侵攻を受けて、加盟が増えているそう。

 

1982年に広島市の呼びかけで発足し、2022年4月から6月で110都市増え8174都市だそうだ。

 

日本では99.8%の自治体が加盟とのこと。

この力は大きい。

大きな組織が「小さな問題(経営に関わる)」を変えられないのは・・・

大きめの企業に働く人の話を聞くと、その業種によらず「書類」が多い。

(紙であってもデータであっても)

 

書類の運用は厳密だが、肝心の書類の書き方は意外にもフンワリ運用の組織も多い。

この項目の意味するところは? 選択肢の意味は?

それが明快ではない。

 

どうやらこんな事情ではないか。

大きな組織によくある組織変更。

元の組織Aが、組織合併、一部スリム化して、新しい組織A´に変わりました。

書類は元の組織Aの書式を継続利用します。

合併して新入りとなったメンバーには、書式内の「項目」や「選択肢」にわからないものがある。

当初A書式を作った人にはわかるが、その人は別組織に。

その人が組織内にいる間は、その存在がガイドライン

 

人間ガイドラインが不在となれば、

これまでの運用経験と伝え聞きで伝播していくが、いかんせんコピーは劣化する。

 

「・・・だと思う」「・・・のはずです」が増えていく。

 

誰もがうすらぼんやりと「おかしい」と思うのだが、明確な言挙げをするには至らない。

たとえば「書式の統一」「書き方のガイドライン」を作るのが解決策だと思うが、A´の長にその権限はあるだろうか?

B´も同じ様式を使っているはず。その調整は簡単ではない。

A´とB´の上部組織のC本部長なら?

 

上部組織はそんな末端の「小さな問題」はターゲット外。

 

こうして、問題解決の道は閉ざされていく。

とても面倒だが、その効果は間接的。

 

・「上」の方々には問題すら認識されていない。

・「数(売上など)」に直結しない

・「社内」他組織との調整で恨みを買うかも。

 

上と数と社内しか見えていない人々には、対応不能

よほどの使命感でもない限り問題視すらされる可能性がない。

 

 

でも社内書類は、外部にものを売ったり、契約したりの事業活動を支えるもの。

それを働き手たちに「?」を抱えながら作業させるのはどうだろう?

従業員にも顧客にも社会にも不誠実ってなもんではないだろうか。

 

「小さい問題」は経営につながっている。

気づくのはいつか?

 

経営的視点を持つ組織上層部はいないのか?

いたとして、

実効性ある具体的対策を打てる「現場」観のあるスタッフを集められるか?

 

フリーアドレス環境で働く時のギモン サーバー保存は万全なのか?

テレワークが進み、出社時にフリーアドレス環境下で働いている、という人が増えてきた。

そんなときのギモン。

すべてのデータがサーバーにあるのは、万全なのか?

 

たとえばデータが消えちゃうとか、データへのアクセスができない、とかないのか?

いざって時に使えないとか、なくなっちゃってるとかないのか?

二重保管してるから大丈夫、とかミラーサーバーありますとかいうのかしら?

 

最近では、在宅勤務だからとかテレワークだからといって、対応が遅れても許してもらえるケースも増えてきている模様だが、それはいいことなのか「?」である。

 

従業員と意識共有していないと、デスクトップに複製作っておきますとか、いってデータ量だけ肥え太るんじゃないかな。

ン?デスクトップってのもサーバー上なのかな?

こんなところに原爆が?(22) ~Chim↑Pom 

森美術館の「Chim↑Pom」展。

2022年2月から5月に開催された、ハッピースプリング」

 

見逃してしまった。会期が長いから、とのびのびにしていたら、ついに行こうと思ったときには閉幕後であったという失態。

 

森美術館ホームページに詳しく展示案内があるのでそれで我慢。

 

岡本太郎「明日への神話」、への付け足し画。

ヒロシマの空をピカッとさせる」と、その後の市民の反応や被爆者団体代表の憤りの声に向かい合って生まれていった『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(無人島プロダクション)の出版。

原宿で開催した個展「広島!」で本作を発表。その後もタイトルに「!」をひとつずつ増やしながらプロジェクトを展開していく。2013年には地元市民や美術関係者の協力を得て、広島・旧日本銀行広島支店で個展「広島!!!!!」を、2019年にはニューヨークでも「Threat of Peace(広島!!!!!!)」出版。

 

2013年の「広島!!!!!」の中で、膨大な量の折り鶴を高さ7メートルの山にした「パビリオン」を制作。その後、折り鶴をお焚き上げ。鑑賞者は内部に入って折り鶴に囲まれることができる。

 

寄贈される折り鶴を使っては、「ノンバーナブル」も。

折り鶴につけられたメッセージを読み上げながら、折り鶴解体する映像を見たのち、鑑賞者自身が、解体され元に戻った折り紙を折り直して鶴を作る。折り直された鶴は再び広島市に返還。

 

Chim↑Pomは、

原爆を巡る思いを反芻し、思い返し、考え直し、見つめ直す。

彼ら自身も、そして鑑賞者も。

それを提示し続けている、というように思えます。

 

見損ねた。見損ねた。