改札内/改札外のカフェ価格について@JR 東京駅

 東京駅乗り換え。お茶をしてから次の電車に乗ろうと、構内でカフェを探す。

コーヒー400円超。マフィンとかパンとかも300~500円かぁ。

 

何店か見るも、かわらず。

八重洲改札の近くで、ふとみると改札外に「プロント」が。

ひょっとしたら、改札抜けた方がむしろ安いのでは。

 

その通り。モーニングセット的なものが、440円でした。

 

改札内で解決しようと思わない方がいいかもね。

探せば、一般的な価格帯もあるのかもしれないが、概して高い。

 

ぜいたくカレー的なお店は、カレーが2000円~3000円であった。

駅の公共的性格ってものは、いまどうなっているのだろう?

 

 

音声AIっていうのでしょうか? 電話の自動応答のレベルの低さはいかにせむ

携帯電話会社の運営するインターネットプロバイダ。

契約プランの変更をしようと、コールセンターに電話した。

自動応答装置だったが、それはまあ、よくあること。

でもイントネーションが異常にぎこちない。

 

珍しいことに、「何をしたいのか具体的に言ってみろ」などという。

「契約プランの変更をしたい」というと、「ご利用のOSは何ですか?」と聞かれる。

いやいや何台か端末つないでるわけですから、1つ特定できるわけないでしょう。

「ひとつじゃないです」と答えると「Windowsmac、アンドロイド、など、どれですか」

しょうがないなぁ「Windowsmacです」

 

自動応答装置は、わっかんねえ奴だなぁ・・・というニュアンスたっぷりに

「オペレーターにおつなぎします」

 

出てきたオペレーターに「契約プランの変更をしたい」というと「こちらは技術サポートの窓口になりますので、ご案内できないので、もう一回おかけ直しいただけますか」とのこと。

 

あー間違えた番号にかけてしまったのだなぁ、反省。と思いきや。

 

「いまおかけいただいた番号にもう一度かけていただいて、「オペレータと話したい」といってください。そのあと、ダイヤル操作を求められるので、1番、その次が3番です」

 

同じ電話番号にかけるのなら、つなぎ先を間違えたのは、音声AIなんじゃない?

 

言われた通りにかけてみる。再び「何をしたいのか具体的に言ってみろ」といわれるが、教わった通りに「オペレータと話したい」といってみる。

 

そうなんだよ。話が分かる「人」と話したいんだよ。と思いながら。

 

ところが。

「(いってることが)わかりません」「当てはまる番号をプッシュしろ」という。

 

で、結局、1を押し3を押し。やっとオペレーターにつながりました、と。

 

いずれ、ただの応答装置より、オペレータより、憂愁になる日も来るのかもしれない。

しかし。

顧客の時間と労力を使って、テストなのか訓練なのかをするのはやめてもらいたい。

 

ちょうど直前に、クロネコヤマトの宅急便の不在連絡票対応の自動応答装置の考え抜かれたきめ細やかな応答を体験したばかりなので、その不出来っぷりが際立ったのだと思う。

 

でも、あのレベルでデビューさせるのは、だいぶ勇気のある行動ではないか。

 

マイナンバーカードが健康保険証代りになると。 病歴審査⇒保険料率アップ、ということになるのか?

便利だとは思う。これまでの履歴とか、調剤状況とか、検診結果とかが一括されるのだから。

と思うのは、これまで健康でやってきたからかもしれない。

 

病弱だったり既往症を持っていたりすると、そのことで不利益を被る場合がある。

就職とか保険料とか、か。

アメリカでは、健康保険自体の料率が高くなったりするらしい。

病気をもっていればこそ、健康保険の恩恵を受けるべきであるにもかかわらず、そのことで保険料率が高くなる。

病歴審査というらしいが。

 

相互扶助の精神による健康保険、ではないのだな。

健康市場のなかで、市場利益の論理で動くのだな。

 

そういう社会がいいのか、そうでない社会がいいのか?

価値観が問われているのだと思う

 

マイナンバーによって一括化される情報で、どんなメリット、デメリットがありうるのか。それを吟味してからの導入でも遅くはない。

というか、わからないまま導入すると、あとからでは修正が難しい。と思われるよ。

 

 

*かつて2018年 財務相であった麻生太郎氏が「糖尿病自己責任」的発言をして話題になったが、そういう見方をするのか、それともそうでない見方をするのか、ということでしょう。

 

「『自分で飲み倒して、運動も全然しねえで、糖尿も全然無視している人の医療費を、健康に努力しているオレが払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいこと言うなと思って聞いていた」

 

「器用貧乏」とは、器用なら貧乏でもダイジョウブ!ということだ!!

器用貧乏、とは、なんでもできる人があまり厚遇されないよね、という意味で、【残念】というニュアンスを含んでいると思っていた。

 

が、最近、そうでもないのでは。と思えてきた。

 

だって、お金を山ほど持っていても大したことないぜ。

 

ものすごくお金持ちの家とかお邪魔することがあるけど、家賃が月200万円といったって、そこにあるのは、食卓といす、ソファー、寝室。台所、ふろ、トイレ。

それぞれの品質は高いんだろうけど、機能としては一緒。

人間の生活なんてそんなにかわるもんじゃない。

 

むしろ、エントランスに滝とか、クリスタル&プラチナの巨大な置物なんか置いてあった碑には、恥ずかしくなって引くね。

お金ってあってもたいしたことできないんだなぁって。

 

で、逆に欲しいものがあって、ネットで探してみた時に、自分の気に入るモノがない。

 

今、ダイニングテーブルの椅子の座面が汚れたので、椅子カバーが欲しい。

ネットで探す。

あれは色がイヤだ、これは素材がイマイチ、なんてやっているうちに、めんどくさくなって自分で作ることにした。

予算はもともと2000円から8000円で買えればなあなんて思っていたけど、1000円くらいでできそうだ。

 

自分でやれば、お金って使いたくったって(ま、使わないで済む方がうれしいけど)使えないもんだなぁ。

 

つまり、自分でやれる能力がある、もしくはやる気がある、ならば、貧乏でもダイジョブなんじゃね、という話。

 

食べ物も自炊できれば安い、モノも自分で作れば安い。

【軍手】をぞうきんがわりにすると、掃除が楽しい

棚のほこり、本の上のほこり、障子の桟、足つき家具の下・・・。

掃除機も使いにくい。不定形で扱いにくい。

 

そんなところを拭くのに、【軍手】が大活躍。

 

軍手が必要になってホームセンターに行ったら、20組くらいの大容量。

そんなに要らないのにな、と思いつつ、値段も安かったので買いました。

 

鼻炎気味の家族がいるので、ほこり取りの掃除をしようと思ったとき、

「軍手を使ったらやりやすいかも」とひらめきました。

 

障子の桟なんか、指でからめとれるんじゃない。

まさに、まさに。

取れる取れる。面白いように取れる。

ほこりまみれになったら、別の軍手に変えて、どんどん取る。

 

棚のほこり。

気になったら、軍手をつけて、ひと拭き。

見たまま直接取れる。

 

汚れた軍手は一気に洗濯すれば、何度でも使える。

使い捨てする必要なし。

よほど汚れたら、本来の利用法、【軍手】として使えばよい。

 

なーんで、今まで気づかなかったのだ!

スマホやパソコン ポップアップで意図せぬ操作をしてしまうこと、ありませんか?

スマホを使っていて、画面タップしようとした瞬間に、ポップアップが現れ、必要のない広告を開いてしまう・・・なんてことありませんか?

 

または、戻るボタンをタップしたいのに、すっとそのバーが下がってしまい、アプリのメニューバーを押してしまったり。

 

⇒たとえば、ヤフー乗り換え案内の場合、ひとつ前の画面に戻りたかったのに、意図せずスポット検索画面に入ってしまうとか。(ちょうど戻るボタンが消えたその位置に「スポット検索」があるので)

 

この程度の誤操作ならいいけど、相手があるやり取りの途中だったら、マズイです。

 

自分の端末について、自分の意思以外で動きが出るというのは、大きな問題だと思う。

 

製品デザインとして再考願いたい。

 

機器とその中で提供されるサービスと複合しているので、難しい課題だということは理解する。

がそのしわ寄せが、利用者に回るのことは、認めがたいし、

難しい課題があることを明示すべきだと思う。

ゼロゼロ融資が終了、金融機関の挙動に注目だ!  ~ 中小企業再興を支援? バーゲンセールの旗を振る?

コロナでひどい目にあった中小企業に対する実質無利子無担保の「ゼロゼロ融資」。

受付が終了した。

 

本調子ではないのに借りた資金の返済が迫る。

 

2020年3月に始まり3年間、利子を国、都道府県が負担、返済できない場合の補償もついた。

中小企業のための施策にも思えるが、よく考えると、金融機関のための施策の色の方が濃くないか?

 

融資実績は2,022年6月時点で234万件、42兆円。

利子予算として政府は1.8兆円計上、2022年3月までに4000億支出しているとのこと。

 

倒産件数は抑えられたが、今後どうなるのか?

間違いなく、倒産は増えるし、苦境が続く企業が少なくない。

 

我々になにができるのか。

苦境を見過ごせば、その穴埋めも税金投入、国債発行などで行われることだろう。

この時に、苦境の企業を非難することは、的(まと)違いであろう。

再生に向けて、協力できることはないのか?を考えたい。

 

むしろ警戒すべきは、苦境にある中小企業を批判することで、その可能性やパワーを安売りしてしまうこと。

 

金融機関たちは、中小企業の再興を支援するのか?

それとも、バーゲンセールの旗を振るのか?

 

日本の産業の宝である中小企業。

(大企業なんて中小企業の技術の組み合わせで食ってるんじゃないかという説もある)

大きい金融機関なんぞ目先の利におどらされて、よいものを安く買いたたき、ハゲタカファンドに売り飛ばすなんてことをしそうで恐ろしい。

 

 

銀行法が改正されたとき、知り合いの中小企業の社長さんが、

「コロナで借金した中小企業が銀行に経営権を握られてしまうのでは」「売り飛ばされたり、外資いれられたりするのでは」と心配していた。

「さすがに信用金庫とかそんなことしないと思うけど、大手銀行はやりかねない」とも。

 

 

一般人ながら、目を凝らして、注目していきたいと思う。

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