スタンダードは盤石か? ~ トリアージ

新型コロナ関連で、「トリアージ」という言葉を聞く。

東日本大震災の時にも、聞いた言葉だ。

 

ウキペディアでは

「・・・救急事故現場において、患者の治療順位、救急搬送の順位、搬送先施設の決定などにおいて用いられる。識別救急(しきべつきゅうきゅう)とも称する。」

 

とある。

 

社会学者の大澤真幸さんのインタビュー(2020.04.08 朝日11)に

 

「人工呼吸器を若者に回さざるを得ないという判断。それは苦渋の決断で「もっとも弱い立場にある人こそ最優先で救済する」という人間倫理の根幹をないがしろにしてしまう恐れがあります」

「そういう判断を重ねることで、倫理的なベースが侵され「弱いものを見捨てても仕方がない」という感覚が広がり定着してしまう可能性がある。パンデミックの長期化・深刻化は人心の荒廃まで招きかねません」

 

とあった。

 

弱い立場を救済という倫理が今のスタンダードか?

見捨てても・・・の感覚が定着するか?

 

と疑問はあるモノの、

(わが身に危機が及べばいつでもだれにとっても倫理など風前の灯火で、そんなわが身がイヤである故、平時には倫理的に行動し、平時を保てるように努力するのがニンゲンではないか、と思っている)

 

●スタンダードは脆い

 

 ~スタンダードは移ろいやすい。

 ~つい最近までそんなの常識でもなんでもないぞ

 ~今スタンダードだと思っている考え方に根拠はあるか?

 

 という事例に次々と出会っているのだ。

 

本当にスタンダードたるべきは何か?

常にチェックと対話と革新が必要なのだ。

 

同じ内容だったとしても、「継承」の意思を確認しながら維持するのだ。

 

スタンダードは盤石か? ケーススタディに続く・・・