助けを求められる世の中に、もっと余裕が必要だ!

駅ビルの入り口で、小学生くらいの男の子が立っている。

その横にうずくまる女性。

帰宅時間帯で急ぐ人たちの中で、目に飛び込んできた。

 

「ご気分が悪いのですか?」と尋ねると、うなずく。

男の子に「お母さんですか?誰かに話してますか?」と聞く。

 

まだ、誰にも伝えていないというので、もっとも近くにある駅ビルのインフォメーションに。

カウンターに、1人だけが座っている。

状況を伝えながら、今日びの雇用状況から考えるに、この担当者に、判断差配する権限はないかもしれない・・・と考えてしまった。

 

ちょっと困った表情を見て取ったので、「ビルの外の問題は、駅に行った方がいいかな?」というと、「そうしていただいたほうが・・・」。

 

即刻、駅改札の有人受付へ。

ここも1人だ。

事情を話すと、ちょっと戸惑った顔をして、「それでは対応しておきます。場所はどこですか?」と聞かれる。場所だけ話して帰ってもいいよ、というような様子。

だが、それでは不安。その場で少し待ってみると、窓の鍵を閉め、動き出してくれる。ドアにもカギをかけ、現場に行って、トランシーバー?で誰かと会話している。

駅の救護室で休ませてもらうことになった。

 

不測の事態が起こりうる現場の体制として、1人配置は厳しいのではないか?

または、そこが司令塔となって、だれかを動かすことのできる権限と具体的マニュアル整備がないのだろう。

 

これでは、上層部が「社会的存在として、助けを求めている人がいたら、救護するように」といっていたとしても、躊躇、戸惑いを見せるよなぁ。

通常時はいいのです。

でも、気分が悪いとか、けがをするとか、急病になるとか、迷子が出るとか、人が集まる場所なら、いくらでもあるでしょう。

問題がないのが普通と思っているとしたら、現場を知らないのだと思う。

 

で、その上層部が、効率とかコストとか、キーになる指標の達成率とかばかりを追い求めている場合、明らかに、助けを求められたら、困ったとか、迷惑とか、排除、拒否する方向に向かうのだろう。

 

そんな世の中にならないように、注視、発言していきたいものです。