「無知を罪に問う」なら「周知の方法こそ問われるべき」だ

①「予期せぬ妊娠 保護すべきでは」

②「忘れ物で立たされた傷 いまも」

 

新聞投書欄に同日掲載された2つの投書。朝日20210222

 

①は、高校生が公衆トイレで出産、子を死なせたとして殺人容疑で逮捕の事件に対し、必要なのは逮捕ではなく保護されること、ではないか、と提起されている。

 

知ることなく超えてしまったラインを、ラインを超えたことで罰する。

罰する前に、なぜ、伝えなかったのか、伝えきることができなかったのか。

 

②は、小3生が忘れ物で3時間半立たされたとの記事に、56年前のご自身の体験を重ね心配する投稿。転校後まもない小4生だった投稿者は「忘れ物をしたら先生に告げ、謝罪する」というルールに対応できなかったため、半日立たされ続けたとのこと。

 理不尽さの記憶が鮮明なのだろうと想像する。

 

ルールがあってそれを適応するなら、ルールを事前に明示。

お互い真に納得したうえで運用されるべきであろう。

 

ルールを知らない方が悪いとか、

どんなに難解であろうと提示されているのだから理解していない方が悪いとか、

こんなに長文では読み切れないといっても同意しているのだからとか、

 

そんな「周知」の方法が、世の中をよくするだろうか?

そんな世の中を望んでいるだろうか?

 

再検討されるような「しくみ」が必要なのではないか、

と思わされた異なる2つの投書でした。