「断腸の思い」。
会社の社長とかおえらい方が、自社の不祥事に「断腸の思い」と表現することがある。
みずほ銀行のシステム障害(20210312記者会見)、ゆうちょ銀行かんぽ生命の不適切営業(20191227記者会見)・・・。
藤原頭取「信頼していただいている方々の期待を裏切るのは断腸の思い」
長門社長「郵政民営化は国家事業であり、国民に貢献できると思って社長を引き受けた。貢献するどころか、信頼を損ねて国民に迷惑をかけ、断腸の思いだ。」
これに毎回違和感を覚えるのだ。
我が子を連れ去られた猿が、連れ去った船を追いかけ追いかけ、長い距離を追いかけ続けてついに船に飛び乗り子ザルと再会。そのあとすぐに死んでしまう。
母猿の腹を割いてみると、はらわたが千々に切れていた。心配、悲しみのあまりに・・・という話。
中国の「世説新語」の中の一話。これが「断腸の思い」のもと。
28篇 黜免篇(チュツメン、左遷や免職に関する話)にのっているのだという。
母猿の哀れに、船に乗っていた武将桓温は、子猿をとらえた部下の兵を解雇したという。
断腸したのは被害者=母猿である。
この時、理不尽なる苦境、窮地は外部からやってきた。
その外力に抗せない自分の非力にも憤り、理不尽なる外力に憤り、悲嘆、憤激、悲しみに「断腸」する。
不祥事の際、社長は内部者だ。外部の理不尽にさらされたわけではない。
その内部を仕切れなかった後悔は強くあるかもしれない。
が、被害者ではない。
加害した側であれば、「黜免(チュツメン、左遷や免職)」されるべきであり、
「断腸」というべきではないのでは。と思うのだ。
「断腸」といわれると、まるで外部からもたらされた厄災によって、抗しきれなかった、というニュアンスを感じてしまうのだ。
社長は内部だろう。不祥事を起こした現場と一体となれているのか?と心配にもなる。
①「非常につらい悲しい耐えられない」という意味で使った言葉で、もちろん社内は一体だ。と思っている。
②現場は社長である私にとって外部である。外部によって「非常につらい悲しい耐えられない」状況に置かれている。と述べている。
どちらであろうか?
②の可能性も完全には否定できないように感じてしまうのが、非常にさみしい。