外国人は数合わせの道具か 望月優大 、がよかった ~朝日新聞「あすを探る」

20211223の朝日新聞

「20代を取り出すと外国籍者はすでに全体の6%」という日本の状況の中で、「共生」の問題を取り上げる望月優大さんの論に「熱」もあり「説得力」もあり、感じ入った。

内容はぜひ読んで欲しいのだが、ハイライトは↓

 

「「安く働いてほしい」と「定住してほしくない」を折衷した弥縫策が行き詰まる中で、1人当たりの労働期間を延長する方策を定住忌避の姿勢を維持したまま場当たり的に繰り出す。そんな確固たる理念のない外国人労働者頼みの現状は、労働以外の生活視点の不在を介して、外国人の権利の軽視にもつながる。」

 

「(オミクロン株の水際対策で)すでに日本国内に生活の拠点がある外国籍住民の再入国すら制限するというのだ。野党の立憲民主党までもが類似の要請を政府にしたことを知り頭を抱えた。・・・こうした根源的な不安は・・・自分の立場が確かな権利に根差していない感覚。」

「「仕方がない」、そんな多数者側の感覚の裏返しに思える」

 

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日本の普通に暮らすひとりひとりにある

権利が確固たるものでなく、多数者側に属することによって得られるとの認識。

これこそが問題なのではないか。

 

とすれば、この問題は、「外国籍の人たち」の問題、ではなく「多数派に属していると感じている多くの日本籍の人たち」の問題ではないのか??

 

外国籍の問題なんて他人事だと思っていたら、いつの間にか、多数派から外れているなんてことを想像してみて欲しい。

自分にとって大切な権利はなんであるのか、それはたまたま多数派だから得られているだけなのか?

 

「論壇委員会から」の小文の中に、「低賃金で働き、権利を軽視される外国籍の人たちの問題を取り上げました(西田健作)」と書かれていることに違和感を覚えました。