処理水放出、である。
漁業者の意見を聞く、はもっともである。
でも生活者にも考えはある。
家族の「食」をあずかる者は命を預かる者なのであって、でき得る限り安全なものを求めたい。
ギモンの残るものは避けたいのだ。
その姿勢は批判できるものではないと思う。
放出されて一時経てば、放出されたこと自体が普通になってしまうのだろうけれども、
今感じている畏れを忘れないようにしたい。
そんなことは気がつかないでいたいし、忘れたいし、知らないでいたい。
が、それは命に対して誠実、だろうか?
放出を危ぶまなければならない水がなぜできてしまったのか。
漁業者は、生計の道がかかっている人々である。
しかし同時に、また「食」を提供するプロである。
彼らの考えも詳細に具体的に知りたい。
生活者の考えも聞いて欲しい。
そして放出したい人々の考えも聞きたいものだ。