誰も戦争は望んでいない ~ 反戦の主張の弱点

ウクライナ問題を巡って、いろんな人が意見をいう。

テレビで流されたり新聞に載っていたりする。

 

その中で、気になることが。

「誰も戦争を望んでいない」「誰も望んでいない戦争が」

たしかに私も望まない。

そして個々の生活者で戦争を望んでいる人、の存在は想像しにくい。

 

でも、兵器産業とか軍事に携わる人とか組織はどうなのだろう?

過去の戦争の時、その振る舞いはどうだったのだろう。

自分と異なるものの存在やその思考パターン行動パターンを知って考えることが必要かもしれない。対抗しなけばならないから。

 

また、「現状のバランスを崩す侵攻が容認されるわけがない」という意見。

一瞬「そうだ、そうだ!」と思うのだが、「ちょっと待てよ」とも思うのだ。

 

おそらく侵攻する側の言い分は、「過去あったバランスを崩した結果の「現状」をなぜ容認しなければならない?」という可能性が高い。

これに対する説得力ある答えは?

 

やはり、単純化はできない。

単純ではないが、「解」はあるはずである。

 

それを見つけるための、具体的事実の積み重ねと共有。

試論のぶつけ合い。

なにより「解」を見つけようとする互いの、周囲の、「熱量」が重要だろう。