車いすを使っている人が、不自由を感じたことについて言挙げをする。
バリアフリーを求めての世の中への提言であっても、「我慢しろ」とか「わがままだ」とか、その希望に対して個人にむけた非難がふりかかる。個人を特定され身の危険を感じるほどの反応があるのだという。
その個人的な体験とそれに基づく提言は、とても貴重なものだ。
提言が実現するかしないかは次のステップだとして、その提言を本人の身をさらさなくても(さらしても危険を感じずに済むならその方がよいのだが)、発信できるそんなしくみがあってもよいではないか。
その提言への共感がどのくらいあるかの計測、も含めて、そのプラットフォームでできることは大きいと思う。
自分の見方や立場と違う人の体験や意見は、意識しないと接することができない。
そんな情報に接することができる場にもなるはずだ。
ex.
●聴覚障害がある方が、コロナ禍のマスク利用、オンラインによってどれだけコミュニケーションに負荷がかかるようになったか→対応策とか理解促進とか(20220404朝日㉑)
●社会的養護