貧しい中で進学して大成した若者が、「ものすごく長い時間、勉強に励んだが、気分転換は家事だった」というようなことを語っていた。
それは大変だったね、とも思ったけれど、
「家族にも喜ばれる=ハタがラクになる=働く」は喜びでもあり、純粋に動くことが気分転換にもなったことだろう、とも思った。
ほかの誰かに感謝されるような働きができることは、喜びだろう。
それは遊びを必要としないかもしれない。
職人さんや自営業の人が、仕事自体が喜びであり、生活と一体化している姿を
見ることがある。
仕事と遊びを分ける傾向の強いサラリーマンとは、ちょっと違うような気がする。
仕事に喜びを感じることができないのが、サラリーマンなのかもしれない。
特にブルシットジョブ系のサラリーマン。
考えてみればかわいそうなのかもしれない。