当事者が「おかしい」と声を挙げることも大切ですが、
まわりの人間でそれを受け止めて「確かにおかしい」と気づき「何がおかしいのか」を追求することもとても大切だと思う。
当事者は、直接の関係者もあって声を挙げづらいこともあるだろうし、世の中に訴えていく客観性や汎用性を加える意味でも「第三者」視点は大切だ。
「第三者」「非当事者」の声は、当事者の力強さはないかもしれない。
ナマではないかもしれない。
その意味では「劣化コピー」である。
ではあるが、コピーであるがゆえに複製を大量生産できるのだ。