こんなところに原爆が?(25) ~高畑勲と原爆の図 

スタジオジブリの大看板だった高畑勲氏。

火垂るの墓」の監督であり、絵巻物など古今の絵画表現に精通されていたことを考えれば・・・つまり、戦争に対して、表現に対して、深いお考えのある方であることを考えれば、「丸木位里・俊の連作「原爆の図」」にどのような見方をされていたのか、

知りたくなるのは当然であった。

 

そこを丸木美術館の学芸員さんがきいてくださっていた。

 

高校生の時に、地元岡山に巡回してきた「原爆の図」を見て、

「衝撃のあまり広島で一体何が起きたのか理解できず、理解できないことがさらに恐怖を呼び起こし、以来、「原爆の図」を避けてきたという。」

そのため

「「原爆の図」に後ろめたい感情を持っているので、うろたえて返事ができなかった、とメールをいただいた。」

 

重ねて依頼の手紙を書いてのお返事であったという。

 

それでも、この機に勇を鼓して対面し、あらためて考えてみたい、と記されていた。」

 「高畑さんは昨年(2017年)9月、ふらりと原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)に来館された。64年ぶりに絵と再会し、「当時、私は原爆被害の実相を知りたかった。しかし、今思うと『原爆の図』は、その実相を描いていないように思います」と語った。細部まで丁寧に目を向け、幾度か「うまい」とつぶやき、しかし、「これは現実を描いているとは思えない」とも言われた。「被爆市民の描いた絵の方が、現実を伝えているのではないですか」

翌10月、アーサービナードさんとの対談で)

ゴヤ藤田嗣治ら戦争の絵の歴史を紹介し、「原爆の図」を読み解く一つの手掛かりを示された。「この絵は、西洋の節度を学んだ画家が、客観的な視点で美を追求している。感情に流されるような見え透いたシーンを抑制して、張りつめた一つの塊として、観(み)る側に訴えようとしたのだと思います」。現実を伝えることと、芸術表現は違う。「ふたりは本当の絵を描きたかったのです」

 後日、「言うべきことが言えていない。しかしそれはこちらのせいだ。考えは深めたい」と短いメールが届いた。」

という。

ぜひ、聞いてみたかった。

いや、それぞれが想像しながら、連作に向かいあってみるべきなのかもしれない。

 

中国新聞 2018.6.17「寄稿 高畑勲さんと「原爆の図」 岡村幸宣」

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