「火垂るの墓」の監督であり、絵巻物など古今の絵画表現に精通されていたことを考えれば・・・つまり、戦争に対して、表現に対して、深いお考えのある方であることを考えれば、「丸木位里・俊の連作「原爆の図」」にどのような見方をされていたのか、
知りたくなるのは当然であった。
そこを丸木美術館の学芸員さんがきいてくださっていた。
高校生の時に、地元岡山に巡回してきた「原爆の図」を見て、
「衝撃のあまり広島で一体何が起きたのか理解できず、理解できないことがさらに恐怖を呼び起こし、以来、「原爆の図」を避けてきたという。」
そのため
「「原爆の図」に後ろめたい感情を持っているので、うろたえて返事ができなかった、とメールをいただいた。」
重ねて依頼の手紙を書いてのお返事であったという。
「それでも、この機に勇を鼓して対面し、あらためて考えてみたい、と記されていた。」
「高畑さんは昨年(2017年)9月、ふらりと原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)に来館された。64年ぶりに絵と再会し、「当時、私は原爆被害の実相を知りたかった。しかし、今思うと『原爆の図』は、その実相を描いていないように思います」と語った。細部まで丁寧に目を向け、幾度か「うまい」とつぶやき、しかし、「これは現実を描いているとは思えない」とも言われた。「被爆市民の描いた絵の方が、現実を伝えているのではないですか」
(翌10月、アーサービナードさんとの対談で)
「ゴヤや藤田嗣治ら戦争の絵の歴史を紹介し、「原爆の図」を読み解く一つの手掛かりを示された。「この絵は、西洋の節度を学んだ画家が、客観的な視点で美を追求している。感情に流されるような見え透いたシーンを抑制して、張りつめた一つの塊として、観(み)る側に訴えようとしたのだと思います」。現実を伝えることと、芸術表現は違う。「ふたりは本当の絵を描きたかったのです」
「 後日、「言うべきことが言えていない。しかしそれはこちらのせいだ。考えは深めたい」と短いメールが届いた。」
という。
ぜひ、聞いてみたかった。
いや、それぞれが想像しながら、連作に向かいあってみるべきなのかもしれない。