「#検察庁法改正に抗議します」
でも注目された「勉強しないと発言してはいけない」的ご意見。
市民として感じる違和感を表明する権利はあるわけで、当然「No!」だと思うのだが、
うまく説明できなかった。
でも「12人の優しい日本人」を見ていたら、まさにぴったりの場面があったので、ぜひ「勉強しないと発言しちゃダメ」と思ってる人、見てみてね。
12人の優しい日本人 を読む会(後編) 23分あたりから
https://www.youtube.com/watch?v=ZDagy7MmFhY
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無罪で決まりそうだった陪審員の会議
紆余曲折して、有罪に決まりそうになっていたとき・・
4号がひとり、無罪に挙手をする。
「わけを聞こう」
「うーん」
「ろくに意見もいわず・・・消極的で頑固っていうのはどういうことだ」
「どうしても有罪には思えないんですよ」
「どこが?」
「わかんないですよ。わかんないんですけど」
「理由がなきゃ話にならん」
「フィーリングかな」
「だってそれしかいいようがない
法律のことはよおわからんし、頭だってよくない」
「でも陪審員になって今ここにいる。あとはフィーリングで勝負するしかないでしょう。
考えるのはそっちに任せるよ」
10号が考え直し、無罪に加わる。
「なにかが違っているような気がするんです
なにかが違うんです」
11号がそれを受けて
「話し合いましょう
納得いくまで」
「初めて見たよアンタラみたいな人」
「いいと思うよ」
「「なにか」を見つけてみましょうよ」
討議続行
新しい視点が、対話の中で次々生まれる。
互いの主張の背景も理解し始める。
最後、無罪の評決となる。無罪→有罪→無罪
各人のフィーリングと知識を持ち寄っての対話によって結論を出していく。
これこそが、希望ではないか。