高齢者連れの旅行をプランする ~ バリアフリーの実態がわからない

90才近いがまだまだ気持ちが元気な女性が旅行に行きたいという。

電車に乗って、駅のそばに泊まって帰る、そんなシンプルな旅。

 

お安い御用、と思ったが。

 

おふとんよりベッドがいい。これは簡単にわかる。

おふろが跨げるかなぁ。これはわからない。

エレベータがあるかなぁ。これも問い合わせないと分からない。

 

口コミや評価を見ても、年代別には出ていないから、80代にあうのかあわないのかがよくわからない。

 

バリアフリー対応といって掲載されているけれども、なにがどの程度どう工夫されているのか、具体的発信がない。

 

是非発信してみたらどうだろう?

さんまが昨年よりちょい安いのは、中国ニーズがないから → え?去年は自国の魚が十分に流通してなかったってこと?

さんまが昨年よりちょい安いのは、「処理水放出問題」で中国ニーズがないから。

そんな報道を聞いて、なるほど、と思ったそのあと。

 

市場、という観点からはそうなんだろうけど、どうも釈然としない。

 

日本の水産業なのに、日本で食べたい人がいても、海外に輸出しちゃって手が出ない程、自国のサンマが高値だったのが去年ってこと?

 

国内流通量を増やしてよ。

高いところで売りたいのはわかるけど。

これ、政治問題じゃない?

 

新入りをビビらせる問題 ~ PTA、町内会、労働組合 →専門用語禁止、外からの視線を意識

おそらくそんな意図はないのだと思う。

新参メンバーを温かく迎え入れようとしていると思う。

 

でも、

誰かがはじめて参加しようというときに・・・

(その団体が何をやっているか具体的にわかっていないが、

  なにか役割を果たさねばならない、

わかり合っている人同士が固まっていたり、

迎え入れ担当がいなかったり

 (いても受付程度でホスピタリティが感じられなかったり)

説明がなかったり、

すると

 

内輪向きで新しい人を迎え入れる準備がないように感じてしまうと思う。

 

少なくとも

専門用語を使わない

外からの視線を意識する

 

は必須かな。

ことが必要だろうと

「戦争」へのアプローチ  ~自分なりの距離の詰め方

「戦争に直面している人たちのつらさがわかる、想像できると と簡単に言ってしまうのもよくないとは思うんですが、そこで 『どうせわからない』と切り離して考えることにも違和感があります。同じようなことが自分の身に降りかかった時に、何があれば安心なのか、何をしてもらえたらいいのか。自分と相手を地続きで考えるのがやっぱり大事だと感じますね」( 作家深緑野分さん (朝日20230816⑪))

 

 

「報道情報を元に現場に行 き、被告や被害者のゆかりの土 地を訪ね、観察し、時には当事 者と同じ服装をする。いわば 『演じる』わけです。それを自撮りして作中に自画像として登場させます。ただ必要以上に背景を調べたり、当事者にインタビューを試みたりはしません」 「私はあくまで一視聴者で、情報の消費者であるという自分の立場を 崩さないためです。記者のように取材して真実にたどり着くアプローチは、誰もができる作業ではありません。それに、結局は誰も当事者にはなれ ず、事件でも戦争でも報じら されていることと自分との間には 自分 埋めたい 『距離』があります。でもその距離を縮めること はできるかもしれない。自分なりの『追体験』の試みが、その一つの方法なんです」(石版画作家 松元悠さん(朝日20230816⑪)
 

 

 

 

 

商品は本体と同じくらいその周辺サービスが重要なのだ

自動車にしても、パソコンにしても、スマホにしても、住宅にしても。

 

車本体、機器本体、建物本体はもちろん重要だが

 

支払い方法や取扱説明、サポートサービス、の質や選択肢、その説明が大切ってなもんではないだろうか。

 

ちょっと違うようで、通底していると思うのが・・

戦場で必要なのは、兵士、武器と思いがちだが、食料、炊事、そしてトイレが必要。

「戦争を調べていくと、兵士や市民の生活を保てない国が最終的に負けるとわかってきました。戦争を語るとき、戦闘のことが中心で、生活という視点が抜けがちです」(作家の深緑野分さん(朝日20230816⑪)