大学 無償化より学費低廉化を ~ゴーン発言と「身の丈」発言をかみしめつつ

「私には発言力と金がある。他の人にはできないことができる(カルロス・ゴーン)」

 

連想したのは、荻生田大臣の「身の丈」発言。
民間試験導入を巡るゴタゴタについて。

 

試験対策も受験回数も思いのままな金持ちゴーン型受験生はいるだろう。
対策をしてして、良い点を獲得できるまで回数を重ねられれば、有利である。
レバノン脱出劇ほどウルトラではないが、他にはできない特権的な層が少なからず出てくる。

民間企業のトップや民間人が、特権的にふるまうのは「あり」ではある。
その態度が気に入らなければ市場が結果を出すこともできる。

 

しかし、大学入学者が特権的層に占められることは、我々国民にとって有益か? 

しかも国費、公費を使う国公立大学に、である。

 

家庭環境に関わらず志ある学生に門戸を開く国公立大学であって欲しいと強く要求する。(願うとか要求したいではない。「要求する」である)
そのためには、世帯年収に応じた無償化ではなく、国公立大学の学費低廉化、であろう。

 

*1:
1/10カルロス・ゴーン氏は日本メディアの代表取材に応じ、語った中に「(日本の)人質司法を耐えているたくさんの人には、私の持っている特権がない。私には発言力と金がある。他の人にはできないことができる」2020.01.11朝日新聞朝刊31面

 

 

国公立大学 所得による無償化より全員対象の学費低廉化を ~ゴーン発言と「身の丈」発言をかみしめつつ