核兵器禁止のムーブメント。
もちろん未来に向かっての活動だと思う。
しかし、核兵器による被害があまりにすさまじかったから、その「過去」のイメージに引っ張られがちだ。
(それは活動している人達の問題ではなく、それを受け止める一般の我々の問題ではある。が、実態としてその傾向はある。)
NHKこころの時代で児童文学者の清水眞砂子さんが、話していた。
「環太平洋児童文学の集いに出た時、町のトイレには、「No Future」「未来はない」と落書きが。一方で会場には「過去の戦争をどう伝えるか」という話ばかり。
愕然とした。
準備していたスピーチ原稿を白紙に戻し、平和を生きのびる「Survive Peaceーー平和という状況を生きのびるのでなくて、平和そのものを生きようとすること]
と変更した。
平和そのものを生きようとする、そのために知るべき、考えるべき、行動すべき、こととして再構築されるべきなのだ。
もちろん、これまでもそういう考えであったことは、承知している。
話しぶりを、書きぶりを、行動しぶりを、「平和そのものを生きる」ためにと映るように、調整する必要があるのだ、と思う。