感じ方が変わること ~ アバターとOriHime、テレビ電話

韓国でインターネットが盛り上がり、日本から視察団が送られていたのは2000年前後だっただろうか?

ネットコミュニティの中のアバターが注目されていた。

アバターを使ってやっていることの紹介がイロイロされていた中で、「匿名で相談」という項目があった。

 

実名では相談しにくい内容をアバターで仮想空間の警察にいき相談している。

あー、これはいいかもしれない。

自分の属性を捨てて(捨てきれるかは別として)、相談できる。

 

服を買ったり、家具を買ったり、ネット上の知り合いにプレゼントしたりのおままごと的イメージの「アバター」に違う見え方を与えてくれた利用方法だった。

 

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OriHime。

分身ロボット。

なんのために?とはじめは思ったのだが、いろいろな事情でその場を離れて、あの場にいくことに意味がある場面は思いのほかある。

 

分身が要らない場合は、オンライン会議でいいのだが、そこにヒトガタやヒトガラが欲しい場合は分身ロボットは有意義だ。

日本橋の喫茶店で接客をしているというが、それはまさに人(形と心を持った)へ注文をし、サービスしてもらう体験だろう。

 

無機質に見えるロボットでも、目が光ったり、手が表情を伝えたりすると、どんどん人格を帯びてくる。

同じ形のロボットでも、パイロットが違うと、慣れたお客さんは、その違いをわかるようになるのではないか。

 

ロボットが見ている風景を見て、その先にいる人とコミュニケーションをとる。

コミュニケーションは実態で、距離は錯覚。

実態と錯覚のデザインでより豊かになれる。

 

 

レースが好きな人が、インターネットの走りのころ、映像ではなく、通過地点の秒数など見て気持ちをたぎらせたように

株の売り買いする人が、数字をみて興奮するように

競馬好きが、ラジオ音声だけでレースがイメージできるように

 

・・・ちょっとちがうか?

 

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