あの時代に、女性サラリーマン(サラリーウーマン)。しかも英語を話す。
「被爆は原点 100歳は訴える」(朝日新聞20220127 夕刊1)
の内容を読んで、驚いた。
考えてみれば、「女性は内に」、とか、「英語は敵性言語」とか、一時のことなのだ。
なんの必然もないことなのだが、それに私も毒されているのだろう。
被爆当時は旅行会社に勤め、英語が堪能。
原爆で家族をうしない、その後兵庫で教師の職を得たが原爆症で退職、1965年に大阪に移って原水爆禁止運動に出会い、英語を活かして被爆証言活動をして欲しいと声がかかり・・・。
こういう方々がいて、海外に原爆、被爆が伝わっていくことになる。