自動集計、自動採点 に思う  ~そのしくみは想定外パターンや少数パターンに気づけるか?

データ処理技術が進んで、アンケート調査のデータ集計や、学校のテストの採点などが自動化できるという。

 

「いいね!」と思う一方で、ちょっと疑問に思う点も。

 

元のデータに当たらなくなるんじゃないかなぁ。

 

これまでは採点、集計のための途中経過として、調査個票や個別の答案に目を通さざるを得ない。

その手間と時間は大きい。

でも、その手間と時間を通じてぶつかっていた「想定外の回答パターン」。

これに出会えなくなるのではないか?

 

浮いた時間で個票にあたれ、ともいえるが、

個票データが自動入力され、回答用紙ごとの点数も出ている。

そして全体の状況がきれいに集計されている。

わかった気持ちになるし、実際全体の状況はわかるし、個別の結果も出てくる。

 

たとえば、「あの子がここは正答しているのにここができていないのはなぜか?」とか。「あの子ができて、この子ができないのは意外だなぁ」とか。

そしてそれはなぜなのかを考えたり。

これは日ごろの「あの子」を知っていればこその発見であり、目配りであり。

その個々への目配りこそが教育という気もするが、よくわからない。

 

調査データを扱ったことのある身としては、

個票の回答パターンを見ながら、アンケートの質問紙が適切であったかどうかを反省する、なんてこともしていたが、

個票データが自動入力され、全体の状況がきれいに集計されている。

となったら、

よほどの熱意がなければ、個票確認などやらないだろうなぁ。

やるとしたら、アンケートを結果を使う主体そのもの自体、かな。