以前にも、記したことがあるのだが、
魚を買おうと思う時、産地などを見ながら「これは手放しで買っていいものだろうか」と思い悩む。
冷却水の海洋放出についても放射能について知識があるわけでなくても、いやないからこそ「家族に食べさせていいものか?」と引っ掛かりを感じてしまうのだ。
化学的な汚染もしかり。マイクロプラスチックしかり。
心配や懸念がなかったら、どんなに幸せで豊かなことか・・・。
大切な海に心配の種をまき、食事の担い手に懸念を負わせている元凶はどいつだ?
放射能であれば、電力会社や政治家。
化学系の汚染にしても、産業界。
海外でのかつての水爆実験なんてことになれば、政治家。
あたりといっていいのかな。
この方たちは、魚の切り身パックを手に思いを巡らすことは少なそうだ。
高級肉あたりを食べてるから関係ない? と妄想した瞬間。
この方たちは、料亭や高級すし店あたりにはいきそうではないか。
そこで「召し上がる」おさかなの汚染は気にならないのか?
あ、自分自身だけの問題だからな。
誰かのいのちに責任は持っていないから、思い悩むことはないのか。
大切な誰かとおさかなの関係には思いが至らない。
納得。
でも、「国民」や「住民」や「社員とその家族」あたりの「いのち」に責任感をもってもらったら、すこしは心配にならないかなぁ。
あっ、「奴らとは食べている魚の種類が違うから、当事者意識を持てない」、か。
どこまでいっても平行線なのかもしれない。
残念!!