空襲碑がもはや「過去のこと」に見えなくなってきた

言問橋のたもと。

通りかかるたびに、東京大空襲碑に手を合わせる。

 

すでに習慣化していたが、ふっとウクライナが頭をよぎった瞬間から、

「過去の惨事」への合掌、ではなくなってしまった。

 

なにかが食い違ったら、「今この世の中でも起こりうる」惨事なのだ。

 

あの東京大空襲がなぜ、どういう経緯で、どこで止めることができたのか・・・。

この答えがわからない限りは、「過去」では済まされない。

 

戦後77年、だろうか。

なにかを成し遂げて平和があるように勘違いしてきたが、

何も成し遂げてなどいないのではないか・・・。

 

春なのに

薄氷を踏むような、

急にうすら寒い風を感じるような、

恐ろしい心もちになった墨堤の花見の日から、

どうしても空襲碑がそれまでとは別のものに見えてならない。