「格差」は解消されるべきものか/解消されるべきは「窮すること」

格差なんてあったってかまわない。

大富豪がいたってよい。

問題は、「窮する」人がいるかどうかだ。

 

人が必要なのは、雨風をしのぐ屋根と壁、日々の食事、寒さ暑さに対応できる衣類。

家族がいれば、教育は受けさせたい。病気になったら、医療にかかりたい。

それからあとはなにかな。

 

問題は、その必要なものに事欠く状況があるということだ。

そしてその問題が解消されていないこと。

 

 

大富豪がいたっていい。

そいつが、何千億、何兆、何京、稼いだって、特にうらやましいとも思えない。

 

自分より10倍、100倍稼いでいそうな家を見ても、

食事に使うテーブルがあり、すわる椅子があり。

台所があり、トイレがあり。

材質は比べようはないけれども、生活に必要なものに大きな違いはない。

材質がよいのは「高いだろうな」とおもっても「うらやましい」とは思わない。

きらびやかな装飾をみても「うらやましい」とは思わない。

むしろ「恥ずかしくないかな」と思う。

 

稼いでいそうなホワイトカラーの通勤姿を見ると、よどんだ顔の多いこと。

一方で、工事現場などで職人仕事に従事する人々の表情の曇りのないこと。

 

「窮すること」がなくなればよい。

大きな格差があっても、貧富の差が大きいのに、

「貧」なはずの層が、楽しそうに暮らしていたら、

むしろその方が痛快かな、とさえ、思う。

 

そのためには、「窮すること」を解消しなければならない。

 

「窮すること」の原因に「格差」が関係しているならば、

「格差」も解消されるべき、と思う。

 

 

「IP電話」と「IP電話機、IP端末」 は 違う ~ややこしや

IP電話」とは

インターネットプロトコルによる電話サービス。

050の番号で始まるもの、ひかり電話など03等の番号で始まるものもIP電話と理解している。

 

が、これは広義のIP電話なのだろう。

IP電話ひかり電話は違う。と言い切る説もある。

 

が、NTT東日本のホームページでも「ひかり電話(光IP電話)」とあり、ただのIP電話ではないけれども、IP電話には違いない、といったところだろうか。03など旧来の電話サービス同様の番号帯を名乗れるのは通信品質の規定レベルを超えなければならないという。

 

で、このひかり電話の説明書を見ると、一般的な電話機のほかに、「IP端末」を接続することができるのだそうだ。

・・・「電話機ポートに接続された電話機、ひかり電話用無線IP端末等、LANポートに接続されたIP端末等を呼び出して、通話することができます。」・・・

 

 

で。

「IP端末」ってなんだ?

情報が断片的過ぎてわからないが、光通信に変換されてやってきた「電話の通話データ」を

①一般電話機用に変換するのが「電話機ポート用」出力だとすると、

②IP(インターネットプロトコル)データのまま、「LANポート用」に出力

③IP(インターネットプロトコル)データのまま、「無線用」に出力

②、③に対応できる端末が「IP端末」らしい。

 

かつて、NTT東日本自体が「ひかりパーソナルフォン」なる機器を売っていて「コードレスのIP電話機」といっていたようだ。

www.ntt-east.co.jp

 

IP電話機があれば、ひかり電話ルーターに一般電話機2台のみならず追加のIP端末をつないで利用することができる。

 

しかし、今それが欲しいと思って探すと、NTT東日本では売っていない。

「IP端末」「IP電話機」で検索すると、普通のコードレスホンが出てきたり、電話サービスの方の「IP電話」が出てきたり、ビジネスホン的な電話機が出てきたり。

ひかり電話で使える「IP電話機」が出てこないのだ。

 

そもそも、「ひかり電話」は「(狭義の)IP電話」ではない、的な風潮の中で、

「IP端末」「IP電話機」をつなぐことができる。というのはすでにややこしい話。

加えて、その「IP電話機」はいったいどこにあるのか?どのように入手できるのだろうか、がわかりにくいというのも、重ねてややこしい話。

 

本当は「わかる」ように説明できていれば、もっと普及していたような気もする。

「わからない」ためにマーケットを作れなかったのではないか。

いや、そうに違いない。

 

 

追記:探しに探して、「これがIP端末、しかも不要な機能がないものかもしれない」と思えるものに到達。不要な機能もなさそうだし。

ただ、説明書きが難しい。直接問い合わせてみるか・・・。

 

grandstream.jp

 

grandstream.jp

 

専門店の矜持  ~文具店にて

初めて入った文具店にて。

LANケーブルやらUSBメモリーやらが売られているので「なるほど、きょうびはこれも文具ですね」などと話しが始まった。

結構この手のデジタルデータ系が売れるのだ、ということであった。

 

一方で、

「昔ながらの大人向けのお道具箱など、国産のものはまず壊れないんですよ」

とも。

 

でも

ボールペンがすぐに書けなくなる。筆圧が高いからだろうか?と相談すると。

「うちでお買い上げのものが、3分の1も使わぬうちに書けなくなったら、お取替えしますよ」と。

 

仕入れる品物に信頼をおいていなければ、

たとえ小額といえども出てこない言葉ではないだろうか。

 

しあわせな仕事の形と

専門店の矜持 をみたおもいがした。

 

 

オンラインの「招集」に思う /参加者からの改善要望 ~テレワーク 主に「teams」イメージ

オンラインの開始待ち、について考えたい。

 

最近ではTeamsを使う招集が多い。

  職場のオンライン会議やら勉強会やら。

  学校の保護者会がオンラインになったり。

時間のやりくりや移動がなくなって、方向性としては大歓迎。

 

ではあるが、主催者たちもまだまだ試行錯誤なのだなあと思う。

参加者側から見た問題ポイントをあげてみたい。

(改善ポイント的なものも書いてみたが、不勉強ゆえ的外れかもしれません。お許しを)

 

指定の会議にアクセスするのだが、

 

スマホアプリだと、前に使ったID?が残っているのかうまくいかない場合がある。

●承認してもらう必要があるが、今どういう状態なのかがわからない。

●入室できたとして、無音、画面変化がないと、この状態で待っていていいものか、間違った状態にあるのかがわからない。

→「●●保護者会 15:00開始 開始時間までお待ちください」

 などと「ドキュメント表示」にしてあると安心。

 あらかじめ案内に「入室すると開始時刻などが表示されます」と知らせるとよし。

 

●入室許可が必要な場合、遅刻者を許可するために、会の進行を止めて許可作業がなされる場合がある。(許可作業中、画面が表示されない、など)

→会の進行をするID以外にも、許可できる「管理者」を作っておくといいのではないかと思う。きっとできるはずではないか。

 

● 参加者に発言を求める場合。スマホならマイクもあれば音も出る。

 が、PCで入っている場合は、さすがにイヤホンまたはスピーカーは必要と思いつくが、マイクはない場合が多い。発言を求められ、チャットで「マイクがありません」「マイク用意していませんでしたごめんなさい!」など続出。

こんな時、スマホで入り直しても大丈夫なのか?

事前に、スマホで入るかマイクの用意を求めた方が混乱が少ない。

 

●上記とは逆に、マイクOFFをすることなく、無防備な生活音がダダ洩れしてしまう気まずさ。時々入る声が、自分の声に似ていたりすると、「わたしではないよ」とアピールしてみたくなる。

 

●質問は、「チャット書き込みに」と、事前告知してあるとよい。

「チャット」はどのボタンを押せばいいのか、の紹介もついているとなおよし。

 

●資料は「後日、●●(ホームページで、共有フォルダで、書類でetc)共有します」

と表示されると、安心です。

 

●画面の下に表示される邪魔なバー。(↓ 小さいけれどわかってください)

共有されている画面の下部、けっこう重要情報が位置することの多い場所に、たびたびでてくるのだけれど、どかし方がわからない。そもそも参加者ではどかせないのか?

共有かけている側の独壇場なのか?

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teamsの邪魔なバー

 

 

電車の扉口、あの手すりを必要とする人がいる!

電車の扉口に注目したい。

ひとつめの視点は

ここをふさいでは人流に影響が出るので、ふさがないほうがいいのでは、ということ。

 

そしてもうひとつ。

先日、新聞の投書ではじめて気づいたのだ。

足などが不自由な人にとって、電車乗降の際に、扉横の手すりが重要だということ。

 

手すりにつかまることで、乗降の一歩が踏み出しやすいらしいのだ。

いわれてみれば、家の中につける高齢者用の手すりなどもそのような役目を持っている。

 

これまでなんとはなしに、居心地がいいと思ってあの場所に立つことが多かった私は猛省した。

必要もないのに、手すりの場所をふさいでいることがあったのではないか、と。

うかつにも気がつかなかった。

これからは、その場所をふさがないよう気を付けようと思う。

 

知ることは大事。

これから機会があれば、人に伝えていこうと思う。

電車の扉口を死守したい人について考える ~「公共」ということ

電車のとびらが開いて、乗り込もうとする人がいるときにも、扉口に建っている人が入り口を譲る気配を見せない場合がある。

 反対に、電車のとびらが開いて、降りようとする人がいるときも、開口したドアの前を動かず、降りる人の流れが細くなってしまう(あなたがよければ3人幅で出られるのに、陣取っているために1~2人幅でしか出られないのよ、といった)光景は、最近では普通である。

 

なんだか、もったいない話ではないかと思う。

公共の場では、全体がうまく回るように配慮できると自分にとってもメリットがある。

 

あなたの立ち位置を変えるだけで、人流がスムーズになる。

人流が滞ることで、少しずつ遅れる電車の発車時刻。

これは自分にとってもデメリット。

その遅れが解消されるなら、自分にとってもメリットある行動になる。

 

なぜ気づかないか。

 

自分の「急ぐ」気持ちが先に立つのか。

だれかに「譲る」のが損するようで嫌なのか。

自分の立ち位置が邪魔になっていることに気づかないのか。

世の中にイヤがらせしたい気分になっているのか。

 

「譲る」ことで、自分の気持ちを「抑える」ことで、自分にもメリットある。

そんな公共視点が広がるといい。

 

*関連で、電車のとびら口について考えてみた。

 

 

 

 

予診票の質問には、クーポン券より接種券と記載したほうが・・ ~コロナワクチン 「接種券」と「クーポン券」 その3 その1

予診票の質問としてでてくる

「住民票のある市町村と、クーポン券に記載されている市町村は同じですか?」

 

クーポン券とは何を指すのか、わかりにくい。

各行政の送付書類も

その表現に苦心の跡がみられる。

 

予診票が先にできてしまったのかもしれないが、


「住民票のある市町村と、接種券に記載されている市町村は同じですか?」

であれば、シンプルに伝わったのではないか?と思うのだ。