「格差」は解消されるべきものか/解消されるべきは「窮すること」

格差なんてあったってかまわない。

大富豪がいたってよい。

問題は、「窮する」人がいるかどうかだ。

 

人が必要なのは、雨風をしのぐ屋根と壁、日々の食事、寒さ暑さに対応できる衣類。

家族がいれば、教育は受けさせたい。病気になったら、医療にかかりたい。

それからあとはなにかな。

 

問題は、その必要なものに事欠く状況があるということだ。

そしてその問題が解消されていないこと。

 

 

大富豪がいたっていい。

そいつが、何千億、何兆、何京、稼いだって、特にうらやましいとも思えない。

 

自分より10倍、100倍稼いでいそうな家を見ても、

食事に使うテーブルがあり、すわる椅子があり。

台所があり、トイレがあり。

材質は比べようはないけれども、生活に必要なものに大きな違いはない。

材質がよいのは「高いだろうな」とおもっても「うらやましい」とは思わない。

きらびやかな装飾をみても「うらやましい」とは思わない。

むしろ「恥ずかしくないかな」と思う。

 

稼いでいそうなホワイトカラーの通勤姿を見ると、よどんだ顔の多いこと。

一方で、工事現場などで職人仕事に従事する人々の表情の曇りのないこと。

 

「窮すること」がなくなればよい。

大きな格差があっても、貧富の差が大きいのに、

「貧」なはずの層が、楽しそうに暮らしていたら、

むしろその方が痛快かな、とさえ、思う。

 

そのためには、「窮すること」を解消しなければならない。

 

「窮すること」の原因に「格差」が関係しているならば、

「格差」も解消されるべき、と思う。