姿勢がわるくなるのも年のせい、と言えば、脚あがらないのは都市のせいともいえるが。
直接の原因として姿勢の悪さともいえる。
背中が丸いとか、モモの裏やお尻に柔軟性がないとか。
姿勢がわるくなるのも年のせい、と言えば、脚あがらないのは都市のせいともいえるが。
直接の原因として姿勢の悪さともいえる。
背中が丸いとか、モモの裏やお尻に柔軟性がないとか。
作詞家松本隆さんがプロデュースしたクミコ。
松本隆さんが日本語詞をつけたカタルーニャ民謡「鳥の歌」も歌った。
「2016年に原爆犠牲者の親族に託された曲を歌った縁でキーウのチェルノブイリ博物館を訪れ、そこでもこの曲を歌った」(2023.01.21朝日新聞be)
原爆犠牲者の親族に託された曲、とは、「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの甥の佐々木祐滋さんが作った曲「INORI」。
鳥の歌は、チェロ奏者パブロ・カザルスの国連スピーチで有名。
1971年、90歳を超えたカザルスは、国連平和賞を受賞。その授賞式で「わたしはカタルーニャ人です。」平和を希求し続けるカタルーニャの歴史を語り、続けて「今から鳥の歌を演奏します。鳥たちは、”Peace Peace Peace”と歌うのです。 」
鳥の歌については、料理研究家辰巳芳子先生が「家庭料理のすがた」のあとがきに代えて、で言及されている。
切実に平和を希求する人々の力量が詰まっている。
2022年12月18日。停電のため東京新大阪間、最大4時間運転見合わせ。
降車した駅で改札内コンコースに乗客がたまり危険だったとのこと。
運転見合わせが解除され、運転再開。
東京駅付近に新幹線がたまり始めたので
【東京駅到着が遅れるかもしれないので品川駅降車】の選択肢を案内したという。
いつもと違うことをする、のは悪くない。
が、そのことによってどのような影響が出るか。
想像しうるか、その想像が的確か否か。
これは、経験値がモノをいうところではないだろうか?
新幹線1編成の動きではなく、数分に1本通る駅ホームを想定できるか。どのくらいの乗客が品川降車を選択するか、掲示板確認や払い戻し客がどの程度出るか、改札許容人数は等のイメージをもって判断すべきものであろう。
現場に照会してみたら、対応は違ったのかもしれない。
概念的な言葉は、その中身が見えにくい。
【具体】的な内容をまとめて表現すると【概念】的【抽象】的にならざるを得ない。
のだろうけれども。
こども家庭庁発足の関係で、2023年1月19日に
小倉将信少子化相が「かつてない踏み込んだ大胆な対策に関するたたき台をつくっていきたい」と話している様子をみた。
かつてない、踏み込んだ、大胆な・・・
ねぇ。
他にも発言はあったのだろうけれど、
今までの何を問題としているのか。
少子化問題をどのように見ているのか。
少子化相の見解についての言及は報道に見当たらず、予算、無償化、賃金、そんなあたりの話に終始している。
バクっと言葉だけでやりとりできる内容のみ。つまり会議で理屈をこねているだけのような印象だ。
軽い薄っぺらさのみを感じるのだ。
*もちろん具体的に意味ある動きをしている関係者はあると思う。
それは満足いく路線(つまり本流)にのっていますか?
おそらくのっていないだろう、と思わせる空疎さなのだ。
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翻って。
アフガニスタンで落命された中村哲医師のつづられた文章を見る。
役割を持たない意思の通わない文字は一文字もない。
ひとつの言葉にどれだけの経験が裏打ちされているのか・・・、と思う。
その裏打ちされた事実をもとに、提言し、読むものに問いを投げかけている。
問われた方も自問せざるを得ない。
言葉に【密度】を感じる。体重、体温、気迫を感じる。
同じ活字でつづられた文、映像を通じて聞く言葉であっても、違いはわかる。
感性は正直なものである。
企業さんの中で、同じ社内でも地域によって、部署によってルールが違うという例は多い。
そんな例をいろいろ見聞きした結果、共通する問題があることに気づく。
●主管の部署が、実務におとしこんだ具体的なルールを作っていない。
(木で鼻をくくったような事実のみの資料を提供する。解釈が分かれても関与しない)
●考えられる疑問に応える情報が提供されていない
(実施当初はしかたないが、同様の疑問が山と寄せられてもいつまでも情報提供しない)
●提供情報量が多い
(実務に必要な情報がすぐに発掘できない。やむを得ず欲しいところだけをつまみ食いした結果、様々なローカルルールが生まれる)
全体を理解している人間(主管)が、実務に携わる他部署とやり取りをして【具体的なルール】に落とし込んだうえで、展開すれば、相当に生産性は上がると思うのだが。
やっているよ、というかもしれない。
でもその時に、意見照会する先の他部署の相手は、実務に直接携わっていない【事務方】が多いのでは?
それは、同じ部署とはいえ、全く異なる世界の人間であって、【具体的なルール】に興味はないので、意味がない。
経営者の皆さんは、このような実態をお気づきになっていないでしょうか?
お気づきになっていても、ご自身が実務の実感をお持ちでない場合は、カイゼンの道筋がつけられないのかもしれません。
通帳をひとつ解約した。
口座開設は面倒だし、紙の通帳利用も新しく作った口座には適用されないというし。
解約はもったいないのでは、という話もあるが。
それでも、身内を亡くした人などの話を聞くと、残高あってもなくても、残された口座の処分はいかにも面倒だ。
そんな話を聞くにつけ、持ち物はシンプルな方がいいとの思いを強くする。
解約にあたっても、印鑑はこれだったか、カードの暗証番号は?
定期預金を普通預金にするための書類、下ろす書類etc。etc。を記入する。
本人だから融通が利いたとしても、代理人などでは、簡単ではない。
つきあいで作った通帳やらなんやら、は、削除して
本当に意味のあるモノだけにした方がいい。
「ご案内」「出口」などすべての貼り紙が日本語のみ。
英語、中国語、ほかにも多言語表記が普通の下町エリアにある銀行窓口なのだが。
違和感覚えました。
ちょうど定住外国人の来店予約客に、「お住まいの近くの店舗」を紹介しつつ、「日本語できる家族がいますか?」とか、とか、「次回お住いの近くの店舗に行く時は、頑張って日本語話して」的な案内をしていた(ように思える)。
頑張らなきゃいけないのは、大企業でありながらオンライン通訳的なサービスがない銀行窓口のほうだと思うのだが。