「生理の貧困」について考えた

テレビのニュースなどで「生理の貧困」が何度も扱われる。

私が目にしたのは、貧困で生理用品を買えない人に配意して、行政が無償提供を始めた、といったもの。

もちろん、よい取り組みだとは思うものの、「自作ナプキンも作れるよ!」ということを知らせる方が、汎用性があるのでは?などとも思ったものだ。

 

ちょっと問題を知ってみようと思って

#みんなの生理

で調べてみたら、問題は「買えない」という「貧困」だけではないことに気づかされた。

 

むしろ、生理という存在をないものとして扱う「社会」の「貧困」。

問題を提起しても取り上げない「政治」の「貧困」。

 

ニュースの扱いが、表面的で軽すぎて、これまた「貧困」。

 

考えてみたい・・・。

 

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「みんなの生理」というグループを作った谷口さんの声がNHKのサイトにある。

 

「学校生活で“普通”とされる生活は、生理があることが考慮されていない。それに気付いたとき『生理はないものにされている』と感じました。生理用品が軽減税率の対象ではないことは、社会の仕組みが生理があることを前提に作られていない1つの例で、自分の声が聞かれてないと感じました」

 

「小学校のトイレにサニタリーボックスがなかった、生理のためプールの授業を休んだら成績が下がってしまった。部活中にトイレにゆっくり行くことができず生理用品を交換できなかったと話してくれた子もいました。さらに不便だと感じても、生理に関することは公の場所で口にしてはいけないと多くの子が思い込んでいて、なんとか“普通”の生活を送れるようにそれぞれ工夫していたんです」

 

 

 

www3.nhk.or.jp