「私はダニエル・ブレイク」に刮目!

わけわからない行政手続きに翻弄される生活者。

真面目に働き、子育てをしている人の当たり前が通じなくなっている。

福祉が必要なのに、疎外されていくその様子をくっきりと描き出していく。

 

2017年イギリス。ケン・ローチ監督。

いったん監督業を引退した監督が、物言わずにはいられない状況に、高齢をおして復帰し撮影したという。

 

見ていて腹立たしい状況が波状攻撃してくる。

そして、思う。

はて、これは、他国のことか?

 

2022年日本でも、そっくりな状況がみられる。

自分事として似た経験はだれもがしているのではないか。

見てみてよ、この映画。

ほっておくと、我々の生活もこうなるのでは?

こんな狂った価値観に支配されるようになっていいのか?

 

●行政や企業と手続きして「話が通じていない」「そうじゃなくって」「わざとか?」と思うこと。

→心臓が悪いから働けないと診断されている、のに、「介助なしに50M歩ける?」「手を挙げられる?帽子をかぶるくらいに?」「大便を漏らしてしまうことは」などと聞かれる。

●パソコン、スマホは使えないといっているのに、電話番号はサイトに載っている

●「そういう態度は審査に影響する」などと脅される。

●電話をかければ、自動応答装置で人と話せない。1時間48分待ち、しかも通信料はこちら持ち。

●支援の審査はアメリカの保険会社に委託されている。

 →一人称で判断できる相手と話せない。

 →利益のためになるべく審査を通さないようになっている?と疑わしくなる。

  まさか?でもこのとぼけっぷりは、そうとしか見えない。

 

●行政手続きに戸惑う生活者に、職員が手伝おうとすると「前例を作っちゃダメ」と上司に指導される。・・・なるべく手をかけないように。人件費だから!でしょうか。

それともなるべく審査を通さないため?

 

●まっとうな職歴の評価がされない。「目立つ」履歴書を作ることだと行政から紹介されたセミナーではアドバイスされる。必要な情報を提供するのではなく、人と差別化するための手段、なのだ。

 

●医療支援の必要を認定されないのだから、求職活動をして失業給付をもらうしかない。求職活動実施の証拠を求められる。自己申告ではダメなのだ。

 

●求職活動に対し採用の声もかかるが、健康上の理由から働けない。

採用しようとした社長の誠意を裏切ることに、自ら傷つく主人公。

一つ吞み込んだ矛盾が次の矛盾を生んでいく・・。

 

●手続きサイトでの試行錯誤の不毛さ。無意味な求職活動チェックのミーティング。

「あなた(行政)も、私(主人公)も、採用企業も時間のムダだろう」という主人公に対し、協力的な行政の担当者は「これしか給付を受ける道はない」というが「尊厳が必要だ」とミーティングを打ち切る主人公。

 

●それだけ追い込まれた中でも、自分より追い込まれた人の手助けをする。

 

最後は、そんな主人公が残念な終わり方を迎える。

 

その前に、自らの主張をハローワークの壁にスプレーで書き付ける。

また、申請代理人を見つけ、審査で伝えるべきことをメモに残している。

 

この文章がいい。

 

二度見て全文を書き起こした。

いい。

2022年の今、見るべき映画だと思う。