「ハタをラクにする」のは楽しいこと ~ 「働く」は楽しい

貧しい中で進学して大成した若者が、「ものすごく長い時間、勉強に励んだが、気分転換は家事だった」というようなことを語っていた。

 

それは大変だったね、とも思ったけれど、

「家族にも喜ばれる=ハタがラクになる=働く」は喜びでもあり、純粋に動くことが気分転換にもなったことだろう、とも思った。

 

ほかの誰かに感謝されるような働きができることは、喜びだろう。

それは遊びを必要としないかもしれない。

 

職人さんや自営業の人が、仕事自体が喜びであり、生活と一体化している姿を

見ることがある。

 

仕事と遊びを分ける傾向の強いサラリーマンとは、ちょっと違うような気がする。

仕事に喜びを感じることができないのが、サラリーマンなのかもしれない。

特にブルシットジョブ系のサラリーマン。

 

考えてみればかわいそうなのかもしれない。

欲しいのは「賃上げ」じゃない! 「お金のかからない世の中」だ

賃上げが要らないといってるわけじゃないですよ。

でも時給を30円くらい上げてもらってももおいつかないくらい、金の価値がなくなっている。

 

駅ビルとかいい場所にある飲食店なんか、こんなもので1000円以上ってどういう神経してるのか?といった具合の価値のなさ。

公共性の高い場所に出店してるんだから少しは遠慮してみたらどうだ!っていうんだが。

 

食べ物や教育や、そういった価値の高いものは低廉に。

お金持ち方のお遊びからは、ボッタクっていただいて。

 

労働組合とかも、賃上げとかベアとかいっていないで、

生活の基本を支える衣食住、未来を支える若者教育などに金のかからない社会設計などに注力したらどうかねぇ。

 

「私はダニエル・ブレイク」に刮目!

わけわからない行政手続きに翻弄される生活者。

真面目に働き、子育てをしている人の当たり前が通じなくなっている。

福祉が必要なのに、疎外されていくその様子をくっきりと描き出していく。

 

2017年イギリス。ケン・ローチ監督。

いったん監督業を引退した監督が、物言わずにはいられない状況に、高齢をおして復帰し撮影したという。

 

見ていて腹立たしい状況が波状攻撃してくる。

そして、思う。

はて、これは、他国のことか?

 

2022年日本でも、そっくりな状況がみられる。

自分事として似た経験はだれもがしているのではないか。

見てみてよ、この映画。

ほっておくと、我々の生活もこうなるのでは?

こんな狂った価値観に支配されるようになっていいのか?

 

●行政や企業と手続きして「話が通じていない」「そうじゃなくって」「わざとか?」と思うこと。

→心臓が悪いから働けないと診断されている、のに、「介助なしに50M歩ける?」「手を挙げられる?帽子をかぶるくらいに?」「大便を漏らしてしまうことは」などと聞かれる。

●パソコン、スマホは使えないといっているのに、電話番号はサイトに載っている

●「そういう態度は審査に影響する」などと脅される。

●電話をかければ、自動応答装置で人と話せない。1時間48分待ち、しかも通信料はこちら持ち。

●支援の審査はアメリカの保険会社に委託されている。

 →一人称で判断できる相手と話せない。

 →利益のためになるべく審査を通さないようになっている?と疑わしくなる。

  まさか?でもこのとぼけっぷりは、そうとしか見えない。

 

●行政手続きに戸惑う生活者に、職員が手伝おうとすると「前例を作っちゃダメ」と上司に指導される。・・・なるべく手をかけないように。人件費だから!でしょうか。

それともなるべく審査を通さないため?

 

●まっとうな職歴の評価がされない。「目立つ」履歴書を作ることだと行政から紹介されたセミナーではアドバイスされる。必要な情報を提供するのではなく、人と差別化するための手段、なのだ。

 

●医療支援の必要を認定されないのだから、求職活動をして失業給付をもらうしかない。求職活動実施の証拠を求められる。自己申告ではダメなのだ。

 

●求職活動に対し採用の声もかかるが、健康上の理由から働けない。

採用しようとした社長の誠意を裏切ることに、自ら傷つく主人公。

一つ吞み込んだ矛盾が次の矛盾を生んでいく・・。

 

●手続きサイトでの試行錯誤の不毛さ。無意味な求職活動チェックのミーティング。

「あなた(行政)も、私(主人公)も、採用企業も時間のムダだろう」という主人公に対し、協力的な行政の担当者は「これしか給付を受ける道はない」というが「尊厳が必要だ」とミーティングを打ち切る主人公。

 

●それだけ追い込まれた中でも、自分より追い込まれた人の手助けをする。

 

最後は、そんな主人公が残念な終わり方を迎える。

 

その前に、自らの主張をハローワークの壁にスプレーで書き付ける。

また、申請代理人を見つけ、審査で伝えるべきことをメモに残している。

 

この文章がいい。

 

二度見て全文を書き起こした。

いい。

2022年の今、見るべき映画だと思う。

道具(スマホ)を制御できないのは、癪に障る

スマホは道具なんだが、どうにもわからないところがある、のだという。

 

すぐに同意とか許可とか求めたがるくせに、その表示してくる内容がわからない。

わからないからって聞く相手がいない。

でも同意しないと、使いたい機能が使えない(ように思える?)のだそうだ。

 

どんな年代の人でもそうなのでしょうか?

それとも、「わからない人」の嘆く声が大きいからそう思うだけでしょうか。

 

制御できる、もしくは本当に必要とする機能だけに絞って、その他を排除した機器を管理ししてくれるセンターがあったら年会費払ってもいいな。

 

自分で理解できる範囲でのみ機器を使う。

 

これがほんとの「キキ管理」なんちゃってね。

 

(機器です・・危機じゃないよ)

 

 

 

こんなところに原爆が?(23)  ~常盤貴子さん の『朗読劇 ヒロシマ』 桜隊関連

常盤貴子さん。

 

大林宜彦監督「キネマの玉手箱」で広島の原爆で犠牲となった桜隊のメンバーを演じた縁で、監督の平和のために行動する姿勢を学び、平和をテーマにした朗読活動に。

更にその事務局桜隊平和記念会が存続の危機にあると知って「朗読勉強会を開催して、その授業料を運営に回しませんか?」と提案して実現されたりしているそう。

(20220914朝日15)

 

 

プラスメッセージでSMSを使っていたら、ある日突然・・・

ドコモのスマホで初めから入っていたプラスメッセージというアプリ。

ショートメッセージ用だよね、と思っていたけれど、ちょっと違うらしい。

1年半ほど前、使い始めた当初に「もうすこしリッチな使い方しますか?」的メッセージが出たけれど、「ショートメッセージだけで!」 と設定した。

 

ときどき、写真を添付したつもりのメッセージが届き、「写真がついてないですよ。写真はメールでもらえますか」などと返信したりしていた。

 

先日、ショートメッセージ(SMS)を使おうと思って、プリを開くと、

「もっと豊かなメッセージを楽しもう」的窓が開いて、ボタン? は「次へ」しか表示されない。 そして「次」に進むと「アクセス権限の設定」に進む。

 

ややこしいからイヤなんだって。

「アクセス許可」することの意味がよくわかんないんだから! ということで無視。

 

ところがすぐに、過去のメッセージ履歴を確認しなければならない場面に遭遇。

過去受信は見れるだろうとおもったら!

なんと見られないんですね。

「もっと豊かなメッセージを楽しもう」的窓の関門を抜けなければならない。

 

仕方なく「次へ」。 「権限設定」。

まあ、とりあえず「許可」だな、ってことになりますね。

 

「豊かなメッセージを楽しみたいから」の許可ではなく、

「過去のメッセージ履歴を見たいから」「スマホキャリアが作った関門を抜けたいから」の「許可」。

 

なんだかなぁ。

こんな「許可」でいいんでしょうか?

こんなサービス利用を誰が望むんでしょうか?

 

ショップにいって、何か設定するときもとりあえず「許可」を選んでください。 とか言われるらしいですが、中身わからんで、必要にせまられて「許可」。

 

こういう事態は、ほっておいてはいけないのではないか、いずれ大きな問題になるのではないかと思うのです。

 

◆プラスメッセージを設定するときの画面イメージ

 こんなことが聞かれます ↓

android.f-tools.net

 

◆プラスメッセージ設定時の戸惑いの声 は ネット上多数上がっていました

初心で行うということ ~ 整体店の新人、自営業の心意気

チェーン店のマッサージ&整体を受けに出かけた。

何度かお世話になっている整体師さんは、あいにくお休み。

指名なしでお願いすると出てきたのはなんとも初々しい感じの女子。

 

あまり期待できないかなぁ・・・と残念に思う。

はじめはおっかなびっくりといった感じで、会話もたどたどしい。

 

これは新人か?失敗したかな?と思いつつ、そこはもう少し力を入れて欲しいとか、こちらの感想や要望を伝える。

するとそれにこたえようと、どんどん希望に寄り添ってくる。

 

結果、これまでにないほど快調な状況で店を後にすることに。

 

経験があって「こんな感じだな」とわかってしまうベテランではここまで個別の微妙な要求に耳を澄まし寄り添ってくれることは少ないかもしれない。

 

自分の判断軸が柔軟(それとも、ない?)からこそ、客側の要求に細かくこたえようとする新人。

 

これこそが「初心」なのかもしれない。

 

自営業の方が、こんなことを言っていた。

ミスをした取引先がおわびより言い訳に聞こえる謝りを入れてきた。

まあそんなものだろうとは思う。

でも、もっと本気でやれば、言い訳できないほどに自分を追い込んで仕事をすれば言い訳は必要ないのだ、と。

 

「仕事でそこまでする必要ある?」という考え方もあるだろう。

が、ここまでやるかやらないかは、決定的に職業人としての質を分けると思う。