意外と多いんですよ。
いい加減、どういう目算なんだか、彼らにヒアリングしたいのですが。
3人は横に並べない歩道があります。
こちらから私が1人で歩いていると、向こうから2人連れが近づいてきます。
狭いのだから、私が道の端を歩いていても、相手が横並びのままでは絶対にすれ違えない。
相手方2人のどちらかが前にでるか、後ろに下がるか。
少し縦に伸びて1.5人分くらいの幅に変化してくれなければ、通れない。
ところが、ぎりぎりまで横並びのまま近づいてきて、ぶつかりそうになりながら(実際ぶつかることもある)、対行者である私をよけていくケースが増えてきている。
攻撃的なタイプだからそうふるまっているのではなさそうです。
ぶつかりそうになったり、ぶつかったり、は、あなたにとってもうれしいことではないはずでしょう? どうしてギリギリまでよけないの?
・今、話をしながら歩いている仲間が重要で、外部の人間はぶつかってもよいモノのようにしか感じられない。
・人との物理的距離の取り方基準が短くなっている。
(スマホを見ながら歩く人の、距離の取り方は見えていないせいか50cmくらいという印象、です)
・譲る行為は、自分にとって不利、損と感じられる。
・譲る行為が未経験で、思考回路に浮かんでこない。
????はて、はて????
いずれにしても、公共的空間での互いのコンセンサスがとれる基準が変化しているのではないか、と強く感じる今日この頃。
高校の新科目に「公共」というのができましたが、こういう視点の「公共」も考えていきたいと思います。
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近い事例としては・・・
*車でも徒歩でも、道を譲ったときに、相手が一礼しないどころか、目を合わせたくない様子を見せるときがある。
*電車のとびらが開いて、乗り込もうとする人がいるときにも、扉口に建っている人が入り口を譲る気配を見せない場合がある。
*電車の扉が開いて、降りる人がいるときも、ホーム側扉口にいる人が、開口部を譲る気配を見せない場合がある。(早く乗りたいのはわかるが、出る人が出ないと乗れないのだから、結果、遅くなり、目的を達せない)
*横断しようとしている歩行者に向けて停車しない車。接近したところでさすがに車も停車するのだが、危険を感じた歩行者も止まって様子を見る。結果、車もあらかじめ停車した時よりも遅くなっているし、交差点内で停車するケースも出てくる。
(誰にとってもメリットない話)