今日から始まった「ヒロシマの高校生が描いた「原爆の絵」展in有楽町」(2021.08.08)
絵の素晴らしさや取り組みのダイナミックさをどう表現したらいいのだろう。
行くまでは、気の重くなるようなテーマかもしれないと思うのだが、見るとそのすばらしさ(←なんと表現したらいいのか言葉が見つからない)に圧倒され、広くもないギャラリーに1時間半も滞在してしまった。
密にならない程度にひきも切らさず来場者が入る。
つらい記憶や、悲惨な経験を描きながら、絵は、迫ってくる。
被爆者の伝えようとする気持ちと、
その被爆者が伝えるものをディテールまで描きこもうとする高校生の活動。
伝えるものに近づこうとして聞き取り、調べ、見に行き、友人に姿勢をとってもらいスケッチをし。
絵の状況説明と、制作過程を振り返っての高校生と被爆者のコメントが、絵に添えられている。
それを見ながら考える。
被爆直前までの日常と、原爆によってもたらされた異常とに思いを致す。
被爆者の方の記憶に近づこうとする高校生たちがたどった気持ちに思いを致す。
その気づきのディテールに、これまで知らなかった「原爆」の発見がある。
美しいものを描くだけが絵画ではない。
伝えたいものを、力強く、生きた形で、伝える力が、絵画にはある。
これまで知らなかったことを知る・知らせる、そのこと自体が「アート」であり、
伝わる形にしあげるのも「アート」(芸のなせるわざ)なのかもしれない。
見ることで、知ることで、伝えられることを受け止めることで、
自分自身を変質させる「アート」力を感じさせてくれる
「ヒロシマの高校生が描いた「原爆の絵」展in有楽町」
でした。