成果主義、競争社会の問題点  ~マイナス方向への競争もあるのだ

成果にあわせて分配を。一見正論のように思える、が。

働く現場にあわせてみた時に、ウマくないのだ。

 

働き手はベストを尽くして仕事をする。

 

常に100%出し切っていては消耗してしまうので、それは持続可能なようにコントロールするけれども、このように働くべきとか、このようなものを納品すべきとか、このような点に注意してとか、自律的に判断して仕事をしているのだ、と思う。

 

その判断が優れていると成果も高い、のだと思うのだ。一般的には。

で、まわりもその高い成果を上げている人のやり方に学ぼうとするのだろう。

 

でも、逆もしかりなのだ。

成果確認項目の設定によっては

こんな風にはたらいちゃおうとか、この程度で納品しようとか、この点は注意しなくっても大丈夫とか、いう働き方でも、むしろ成果としては高い場合が出てくる。

成果項目は定量的なものが多く、すぐに数として反映されない活動(リスク回避や信頼向上のための気配り的行動)は定性的で成果カウントされず、短期的にはロス時間になりがちなので。

 

そうなると、高い成果を上げている人のやり方に批判的な人でも、結果として似てきてしまう可能性が高い。

「このように働くべきとか、このようなものを納品すべきとか、このような点に注意してとか、自律的に判断」の部分。

これは、労働倫理的なものであり、崩れにくいには違いないが、さすがにその倫理を持っていることが低評価につながるようであれば、「自分は倫理と思ってきたが、それは必要とされていなかったのだ」として捨てる努力を始めてしまう。

               (辞めてしまう人が出る場合もまま聞く)

「ムダなことに力を使っていた。より効率的(?)にやろう」とマイナス方向に向けた競争が始まる。

 

なにに対してベストを尽くして仕事をしてもらうのか。

「競争」「成果」は適切な方向であるのか?

その向かう方向にこそ、経営者も心を配るべきであるし、働き手もそこを要求すべきである。

 

これは、理想論ではない。概念でもない。

ごく具体的な欲求と感じられるほど、問題は深まっているのではないか?

企業不祥事を見るときに、常に頭をよぎる問いである。