あきらめ上手でいいのか? ~その1 家族との関係

「男の人はねぇ、ちゃんとやってほしいことを口で言わないとわかんないんだよ」

同僚男性Oさんがいいました。

 

Oさんは共働き。休みの日に趣味のバイクでひとっ走りして家に戻ると、奥さんは庭の手入れをこれでもかといわんばかりに終えて、ため息をつく。

「「お前はやらないで、なんなんだ?」ってアピールなんだよなぁ。感じ悪い!」とOさんはいう。「やって!っていわれれば、なんだってやるんだけどなぁ」

 

いやいや、Oさん。わかってない。

奥さんの気持ちわかるなぁ。

いわなくってもやって欲しいのだ。

いってやってもらうのとは違うのだ。「わかるでしょ?」

 

「いや、男はわからないね。やって欲しいことを言ってくれれば喜んでやるよ。

でも察しろとか気がつけっていわれてもなぁ。頼むから口で言ってよ」

 

なるほど。察したり気づいたりが下手くそな男どもと共存するには

 

うまく伝える「伝え上手」になるか。

北陸だったかな、「ダンナはいないもんだと思って」となんでも自分でやるおっかさんになるか。

の二者択一なのかも。

 

これまでの私は後者だったけど、共働きの時間制約、加齢による体力制約を考えると、

あきらめ上手ではいずれやってられなくなる。

「伝え上手」になろうじゃないか。

 

そんなことを考えている折も折。

 

うちのダンナも、通勤の中に徒歩を組み込み日々気分よく30分も歩いていたということが発覚。

そんなに時間的余裕がある人も少ないよね、というと、いい職場だったかも、という。

職場だけじゃないでしょ、家族だってよかったんじゃない?という言葉を飲み込む。

 

交通機関を使って、10分足らずで行けるところを30分かける。

その差分を家事に使って!と要求することもできたはず。

まあ、差分があったことにも気づかなかったし、「ないもの」だと思ってはいたのだけれども。

 

モヤモヤする。

時間がないアピールはだいぶしていたと思うのだが。

 

時間をかけて、自分を納得させる。

具体的にやって欲しいことを伝えればよかったのだし、伝えるほどのやって欲しいこともなかったのかもしれない。

 

過去のことはよいとして、これからは伝えることにしよう。

ちょっとしたことだから自分でやっちゃえ、とは思わずに。