「保育園落ちた。日本死ね」
はっとしましたよね。強い言葉だから。
品がないとか、言葉遣いが悪いとか当初批判されたけれども、ここまでいわなければ「見向きもしないだろ!」という気持ちは共有できたし、その問題意識は「共有できる!」と思ったから。
つまり。
「そう!そう!」と同意し,共調できる言葉が必要なのだ。
当事者であるという気持ち。
当事者性がない限り、どんなに大切なことでも「流れてしまう」。
大切な話をしていても「お前らのことだろ」「わたしのことじゃない」ではダメなのだ。
憲法、戦争、人権。
当事者であるはずでも、当事者として感じられない言葉に、どんな補助線を引くか。
どんな架け橋をかけるか。
賃上げだって分配だって、当時者でありながら、その道筋は描けない。
そこになにを加えるか。
政治にはその力が問われてくる。