子育ての価値観 と 人口オーナス期の価値観 (まだ途中)

YOUTUBE「せやろがいおじさん」の「働き方改革」テーマの映像をみた。

(面白いのでぜひ)

経済上り調子の時期の働き方を続けるあほらしさ、を表現して最高。

少子高齢化の経済活動にとってはマイナス要因が多い時期の働き方とは?を考えさせてくれる。

 

生活を大事にする、生活と働くことを協調させるということ、ととらえたが、

そういう意味では、働く母たちは、これまでもそれを模索してきたのだ。

そして育児する父たち(まだ少数派)も同じ。

 

人口ボーナス期(生産人口が増え続ける)、の価値観との端境期で、

「すべてを仕事につぎ込め」

(つぎこんでも生活が回る手立てがあった)から成立してただけだけどね。

ストイックなようにみえて甘えの構造だ。

 

よりよく仕事を仕上げるためには徹夜もいといません!

が許されなくなり、働き方改革をせざるを得なくなった時。

家事育児が敵に見えるとき。

 

ちゃっちゃと終わりにして仕事に向かおっと、という考え方もある。

でも、違和感がある。

家事育児はもっと大切なものではないのか?

やらなければならないものではあるが、決してイヤなものではない。

(これは私の場合、仕事についても同じです)

 

違和感が(ほぼ)ない着地をむかえるのに、支えになったいくつかの言葉たち。

仕事と家事育児の協調にむけ、波立つ気持ちの緩衝材。

そして共感できた◆。

 

仕事を終え、急いで帰る駅の上りエスカレータで幼い子供の泣き声を聞き、反応する身体。ここに我が子がいるわけがないのに。

その面倒臭さが幸せなのかもしれないなどと気づき始めたころ。

 

しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ

 河野裕子の短歌をかみしめていた。

 

また、ぱんだこぱんだの中に

おなじようにそれは大切なものなんだ!と全面肯定する言葉が繰り返し出てきていたことも思い出される。

今度再視聴したら、メモを取ってみようと思う。

 

そう、暮らしの中で必要で大切でかけがえがなくってというものを再認識することが必要だと思う。必要なものが不足していたら、工夫する、要求する義務と権利がある。

 

要求する、そしてその権利があるということを忘れてしまいがちである。

そのためには言葉が必要だ。

 

ただし、必ずしも要求すべき相手(雇い主だったり、ダンナだったり)は、悪意があって働かせてやろうとか搾取してやろうとか考えているわけでもなく、「わかっちゃいない」だけ、という可能性があることを理解しておこう。

 

何が「わかっちゃいない」のか、といえば。

・こどもを〇時までに迎えに行かねばならない

・子供にご飯を食わさねばならない

(ということは逆算して〇時には準備をはじめなければならない)

という他愛のない、でも重要なことなのです。

 

考えてみれば、これは子供を授かる前には我々もわかっていなかったことであります。

その時を思い出して、相手に伝わるように十分工夫をする必要があると思います。

 

「分かっちゃいない」相手に「分からせながら」説得をする。

ここ、重要です。

 

 

じやがいもを買ひにゆかねばと買ひに出る この必然が男には分からぬ

 河野裕子

 

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