核兵器禁止を、過去ではなく「未来」につなげるものとして ~清水眞砂子さんの話

核兵器禁止のムーブメント。

もちろん未来に向かっての活動だと思う。

しかし、核兵器による被害があまりにすさまじかったから、その「過去」のイメージに引っ張られがちだ。

(それは活動している人達の問題ではなく、それを受け止める一般の我々の問題ではある。が、実態としてその傾向はある。)

 

NHKこころの時代で児童文学者の清水眞砂子さんが、話していた。

「環太平洋児童文学の集いに出た時、町のトイレには、「No Future」「未来はない」と落書きが。一方で会場には「過去の戦争をどう伝えるか」という話ばかり。

愕然とした。

準備していたスピーチ原稿を白紙に戻し、平和を生きのびる「Survive Peaceーー平和という状況を生きのびるのでなくて、平和そのものを生きようとすること]

と変更した。

 

平和そのものを生きようとする、そのために知るべき、考えるべき、行動すべき、こととして再構築されるべきなのだ。

 

もちろん、これまでもそういう考えであったことは、承知している。

話しぶりを、書きぶりを、行動しぶりを、「平和そのものを生きる」ためにと映るように、調整する必要があるのだ、と思う。

 

 

 

 

「知る」ことでよりよい関係&よりよい環境ができる「教えて!ドクター プロジェクト」

「教えて!ドクター」は、

医療者の知識を生活者に伝え、

医療者と生活者の関係をスムーズにしているようです。

 

時に「対立」してしまうこともある

「両者のストレスを軽減するために、お互いの認識を近づけるための「共通の言語」が必要です。今回のプロジェクトはその「共通言語」の役割を果たすことを目指しています。これらの活動を通じて保護者の皆さんが安心して子育てするための一助になればと願っています。」

というプロジェクトなのだそう。

 

そう、共通言語と共通の目的を共有するために、

「知る」べきことを発信し、受信する。

 

そんな活動に注目したい。😊

 

oshiete-dr.net

リユース、リサイクルを根付かせる器になる予感 “REMARKET”

応援したい!

本質的なリユース、リサイクルの潮流の予感。

 

ブックオフとモノファクトリーの新ブランド“REMARKET”。

 

www.atpress.ne.jp

 

 

駅のバリアフリーを考える  障害者割引とICカードの両立ができない!とは??

障害のある人が鉄道を利用するときに、割引料金のために、窓口で手帳提示、自動改札が使えない場合があるのだという。20210416(朝日)

 

不便なだけではなく、だいぶ「優しくない」対応ではないだろうか?

 

障害ではないまでも、足腰が弱くなった高齢者でさえ、

イカパスモ等のICカード入場は便利で助かるといっている。

 

余計な距離を歩かなくて済むし、料金などを確認支払する手間が省けるからだ。

 

障害を抱える人に、特に歩行困難だったり移動困難、視覚障害、発話障害、聴覚障害がある人だったら、ICカードの恩恵はいかばかりだろう。

 

それを「わざわざICカードを使わずに」とは、自分たちの提供サービスの価値を地に落とすようなものではないだろうか?

 

必要に応じて、社員が確認、ではいかがだろう?

狭い歩道をふたり横並びのまますれ違おうとする人々について、考える ~「公共」ってこういうこと

意外と多いんですよ。

いい加減、どういう目算なんだか、彼らにヒアリングしたいのですが。

 

3人は横に並べない歩道があります。

こちらから私が1人で歩いていると、向こうから2人連れが近づいてきます。

狭いのだから、私が道の端を歩いていても、相手が横並びのままでは絶対にすれ違えない。

相手方2人のどちらかが前にでるか、後ろに下がるか。

少し縦に伸びて1.5人分くらいの幅に変化してくれなければ、通れない。

 

ところが、ぎりぎりまで横並びのまま近づいてきて、ぶつかりそうになりながら(実際ぶつかることもある)、対行者である私をよけていくケースが増えてきている。

 

攻撃的なタイプだからそうふるまっているのではなさそうです。

ぶつかりそうになったり、ぶつかったり、は、あなたにとってもうれしいことではないはずでしょう? どうしてギリギリまでよけないの?

 

・今、話をしながら歩いている仲間が重要で、外部の人間はぶつかってもよいモノのようにしか感じられない。

・人との物理的距離の取り方基準が短くなっている。

(スマホを見ながら歩く人の、距離の取り方は見えていないせいか50cmくらいという印象、です)

・譲る行為は、自分にとって不利、損と感じられる。

・譲る行為が未経験で、思考回路に浮かんでこない。

 

 ????はて、はて????

 

いずれにしても、公共的空間での互いのコンセンサスがとれる基準が変化しているのではないか、と強く感じる今日この頃。

高校の新科目に「公共」というのができましたが、こういう視点の「公共」も考えていきたいと思います。

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近い事例としては・・・

 

*車でも徒歩でも、道を譲ったときに、相手が一礼しないどころか、目を合わせたくない様子を見せるときがある。

 

*電車のとびらが開いて、乗り込もうとする人がいるときにも、扉口に建っている人が入り口を譲る気配を見せない場合がある。

 

*電車の扉が開いて、降りる人がいるときも、ホーム側扉口にいる人が、開口部を譲る気配を見せない場合がある。(早く乗りたいのはわかるが、出る人が出ないと乗れないのだから、結果、遅くなり、目的を達せない)

 

*横断しようとしている歩行者に向けて停車しない車。接近したところでさすがに車も停車するのだが、危険を感じた歩行者も止まって様子を見る。結果、車もあらかじめ停車した時よりも遅くなっているし、交差点内で停車するケースも出てくる。

(誰にとってもメリットない話)

「男女格差報告書」 ← 賃金の同等性は求めたいが、管理職はどうかな?

世界経済フォーラム「男女格差報告書」で、日本のランキング順位が低いのだそうだ。

賃金の同等性、勤労所得、管理職、あたりの問題が指摘されている。

 

賃金の同等性は確保されるべきだなぁ、と思う。

日本の賃金は、生活給という考え方が根強い。

生活できるだけの給料を確保する=一家の生活を世帯主(多くが夫であった)の給料で

となれば、

共働きであった場合、一家の生活給✖2人となるのは過剰

との考えで、後から参入した妻側の給料を低く抑える発想になったのではないか、と思われる。

 

管理職については、

実際に管理職についている男性からも「中間管理職になりたい人なんかいないよ」という声をたびたび聞いている。経営に参画するための通過点、と考えるなら別だが、どうなのだろう。

得たいポジション、つきたいポジションなのだろうか?

得たいポジションなのに得られない、なら、問題だが。

管理職に登用されているかどうか自体、問題点として取り上げるべきなのかどうか、から検討すべきかもしれない。

 

管理職の給料が高いのは周知の事実。

給料が高いから管理職になりたいという発想もあると思うが、

管理職以外にも給料を高くするポジションを設定して、男女ともにそこを目指す層があってもいいと思う。

 

気づいた「不便・問題」は声に出してみるべきかも

「仕方がない」と受け入れてしまっている不便さ、問題点。

自分だけではないかも、と考えてみる。

声に出してみると「そうそう」「あるある」と声が大きくなって

世の中の方が変わるかも。

 

「きこえにくい映画とお笑いの話」。

聴覚障害がある漫画家さんが感音性難聴での不自由と「バリアフリー字幕を付けて欲しい」という願いを発信した。

たくさんのいいねやコメントがついたとか。

 

予算や手間の問題だけではなく、

「障害を感じている側の声が、単純にまだまだ作り手側に届いていないのだろうと思います」

とのこと。

 

届いたら、少し無理しても付けたくなる、と信じています。